家へ行く
かけてもかけても繋がらない電話に業を煮やしたのか、そのまま部屋を飛び出した菊丸。
「英二? アンタ、どこに行くの?」
姉の言葉に振り向きもせずに「おチビのトコっ!」とだけ言い捨てると、靴を履くのももどかしく扉を開け、越前宅に向け走り出すのだった。
あのサイレンのような音にほとほと困り果てていた時、越前はかすかに玄関までもが騒がしい気がして苛立ちを覚えていた。
「あーもう、勘弁してよ」
今日は両親も従姉妹も出かけていて、越前が留守番をする羽目になっていた。別に留守番自体は、嫌いではない。普段は静かだから別段気にもしなかった…のだが。
今日ばかりは条件が違った。この状況で一人取り残されたのが辛すぎた。
やはり玄関から何かが聞こえる気がしたので、苛立ちを押さえることもせずに玄関に向かうと、来客者を確認もせずに勢いよく扉を開けた。
「うるさいっ! 今は取り込み中…って…先輩?」
目の前で、大きな目をさらに大きくして、扉を叩いていた手を上げたままの体勢で固まっているのは、紛れもなく菊丸英二。越前のあまりの剣幕に驚いたらしい。
越前は背後から聞こえてくる、サイレンのような音にうんざりした表情になると、肩を落として扉に背を預け、菊丸を見やる。
「先輩…今日は無理っス」
「………」
越前の剣幕が納まっても、越前の背後から聞こえてくる音に頭が働かないのか、いまだ固まったままの菊丸。
その様子にため息をつくと、越前は菊丸の目の前で手を左右に振ってみせる。
「先輩?」
しばしの間、越前は菊丸の目の前で手を振っていたが、いきなり菊丸が凄い形相で越前の手をつかんだ事に、扉に背を預けている事も忘れて、一歩引いた足が扉に当たった。
その隙を逃さずに、そのまま越前に詰め寄った菊丸の様子に内心焦りながらも、聞かれるだろう事が想像つき、げんなりとした表情を見せる。
「おチビっ! 何で…何で赤ん坊の泣き声が、中から聞こえるんだよっ!!」
やっぱり…といった感じで菊丸から視線をそらし、面倒くさそうにため息をつく越前の様子に、菊丸はどんどん暴走していく。
「まさか、おチビの子なの!? 俺の事、嫌いになったの!?」
いきなりのドタキャンで、頭がぐるぐる回っていた菊丸からしたら当然の質問なのかもしれないが、越前にとっては「何をバカな事を」といった質問である。
さすがにこの菊丸の言葉に、越前は呆気に取られるが、すぐに菊丸を睨みつける。
「何言ってんスか。何でこの歳で、ガキを作らなきゃいけないワケ?」
越前のあまりに冷たい視線は、熱くなっていた菊丸でさえ口をつぐむほどで。
おまけに越前の機嫌の悪さをようやく感じ取って、ひとまず菊丸は、素直に頭を下げた。
「えっと…ごめん、おチビ」
「……はぁ。とりあえず、入ります? 中、放っとくワケにもいかないんで」
菊丸に素直に謝ってこられ、これ以上きつく当たるワケにもいかず、越前は身体をずらして家の中へ誘うのだった。
中に入った二人の目に映ったのは、大き目のクッションの上で泣き叫ぶ、一人の赤ん坊。小さな身体で、自らの存在を主張するかのように、全力で泣いているその姿。煩いと思う気持ちも存在するが、嫌いにはなれないのかもしれない…。
「…うわっ…ちっちゃい…」
思わず呟く菊丸に応えるかのように、さらに大きくなる泣き声。その声に疲れたように小さく息をつく越前とは逆に、菊丸は赤ん坊に近づきながら越前に声を掛けた。
「ねぇ、おチビ? この子の名前って、なんての?」
「名前っスか? 海咲っス」
「そっか。んじゃ…みーちゃんだね」
あっさりと愛称を決めてしまう菊丸の行動を、越前は眼をぱちくりとしながら見守る。
その菊丸といえば、慣れた手つきで海咲を抱き上げてみせ、腕の中の赤ん坊をあやし始めた。まさか、菊丸がそんな行動を取るとは思っていなかった越前は、自分がどうすればいいのか判断に悩むが、菊丸の視線が自分に向いた事に、気がついた。