今日は諦める
どこか寂しい気持ちで携帯の停止ボタンを押すと、液晶画面に視線を送りながら、そっと口を開いた。
「……何でつながんないんだよぅ」
呟いた言葉に押しつぶされそうになり、思わず目を閉じると重力に引っ張られるように、身体を横に倒す。
トンッと携帯を握ったままの手に当たったのは、クッションだった。
無意識に携帯を放してそれをつかむと、起き上がりざまに八つ当たりのように壁に向かって投げつける。
ボスッ
壁に当たったクッションが落ちるのを、何の気なしに見つめたままでいたが、またフッと身体を倒してベッドに横になった菊丸。
仕方がない。
つながらないのは、何か用事があるんだろう。
そうでなければ、あの子がドタキャンなんてするはずがない。
そんな事を自分に言い聞かせながら、いつのまにか菊丸は意識を手放していた。
「うわーっ!!!!」
いつ寝たのかなんて、全然覚えていない。
気がついたら、いつの間にか朝になっていて、それどころか…いつも家を出る時間を5分過ぎていた。
慌てて着替えをしているところに、下の兄が顔を覗かせる。
「お、英二。やっと起きたのか?」
「起きたのかじゃないよ! 何で起こしてくんないのさ!」
着替えをしながら叫ぶと、クッションが飛んできた。
「わぷっ!」
「お、ナイスキャッチ」
ポテッと落ちたクッションを思わず眺めながら、小さく肩を震わす菊丸の気持ちを知ってか知らずか。
あっさりと肩をすくめてドアを大きく開け放つと、ドアにもたれかかって廊下へ出れるようにした兄は廊下を親指で指した。実際は、廊下ではないのだろうが…。
「おい、英二」
「………なんだよ」
「ちっちゃい子が迎えに来てるぞ?」
……ちっちゃい子。
菊丸の頭に浮かんだのは、ドタキャンしてくれたあの子。
無言で見つめる菊丸に、兄はニッと笑いかけるともう一度親指で外を…玄関を指した。
「テニスバック持ってたぞ」
その言葉に、ほぼ着替え終わっていた菊丸はバックを片手に部屋を飛び出す。
兄の横を通り過ぎようとした時に、腕をつかまれつんのめった菊丸は、思わず反射的に睨みつけてしまう。
菊丸が口を開くその前に、兄は手に持っていた袋を差し出した。
「学校で食いな」
そう言って手渡された袋の中には、お弁当と朝食用だろうか?おにぎりが数個入っていて。
「あんがと、兄ちゃん。いってきます!」
肩越しに手を振る兄に見送られて、勢いよく玄関のドアを開いた場所に立っていたのは、やはり越前リョーマ。
あまりの勢いのよさに、驚いたように目を見開いた越前は、どこか疲れた様子で。
「おはよ、おチビ! ……どったの? 何か、しんどそうだよ?」
抱きつこうとした菊丸は、越前の様子にその行動を慌てて止めて覗き込む。
その様子に苦笑を零した越前は、返事をせずに菊丸の手をつかんで歩き出した。急な動きに、つんのめりながらも、すぐに体勢を直して横を歩く菊丸を振り仰ぎはせずに、前を向いたまま越前は口を開く。
「昨日はすいません。ちょっと、家の用事で」
「あ…うん」
何とも言えずにひとまず頷く菊丸の手を離し、越前はそのまま横を歩き続ける。
「何回も電話、くれたんスね」
その言葉に、自分が何度着信履歴を残したのか考えて、一気に青くなり足を止める菊丸。
そんな菊丸に気づく事なく、歩き続けていた越前は、ふと隣の温もりがなくなった事に気が付き振り向いた。
気づかずに歩いた距離は、そんなにないとはいえ、少し開いている。
「どうしたんスか、先輩?」
相手の反応を待つが、言葉を発するでもなく歩き出すでもない菊丸に、息を一つついて越前が歩み寄ると、そのまま下から顔を覗きこんだ。
「先輩?」
「……ゴメン。おチビ忙しかったのに、俺ってばしつこく電話…」
「何謝ってんスか」
一つ息をついて、あっさりと言ってきた越前の声に、視線を少し上げた菊丸。ぶつかった視線の先の表情は、怒ったわけでもない…どちらかと言えば呆れ顔。
その表情に、勇気付けられたと言っては変なのか。それでも、恐る恐る問いかける菊丸。
「おチビ…怒ってないの?」
「そんな事で怒るほど、俺はヒマじゃないっス」
そう言うと、また菊丸の腕を取って越前は歩き始める。
その刺激につられて足を踏み出した菊丸の耳に届いた言葉は、菊丸の予想をしっかりと裏切っていて…。
「こっちが謝る立場っスよ。ま、それはいいや。そんな事より先輩」
そんな事?
菊丸の心配やら葛藤やらをあっさりと乗り越えて返ってきた一言は、ある意味越前らしいのかもしれない。
「なに?」
「お詫びに、今度遊びに行きません? 菜々子さんから、先輩が見たがってた映画のチケット貰ったんで」
手をつないでいない方の手で、チケットをひらひらと掲げる越前の表情は、いつものように飄々としていて、それが逆に嬉しくて…。
「行くっ! おチビと一緒に見たいって思ってたんだ!!」
そう言うと同時に、ココが路の真ん中だというコトも忘れて、菊丸は越前に抱きついていた。