1. Index
  2. Novel
  3. テニスの王子様
  4. 菊リョ菊
  5. Gia da solo voi
  6. Act 11 *

Act 11 *

 先に仕掛けたのは、ワンレンの男だった。
 ワンレンがポケットから取り出したナイフの向かう先は、冷たい瞳をした菊丸の顔面へ向けて。
 そのナイフをギリギリのところまで引き寄せてから、スルリと躱すと同時に膝を相手の腹部にめり込ませる菊丸の姿に、越前は知らぬ間に息を飲み込む。
 そのまま前屈みになったワンレンの頭を上から肘で殴り倒す菊丸を僅かに見開いたままの瞳で見ていたが、そのまま次の動作に移ろうとする姿を見ると力が抜けたように頭を後ろに預けて目を閉じる。
 詰めいていた息を吐き出すと同時に覚えたのは、軽い眩暈。
 昨日も思った事だが……ケンカ馴れし過ぎている気がするのは、決して気のせいなどではないはずだ。
 手が自由ならば、迷わず額に手を当てていただろう。
 
 試合をしている時の真剣な瞳とは全く別の、冷たくて射抜くようなあの瞳。
 しかも、先ほどまでの刺々しい雰囲気は変わらないのに、なんだか生き生きしているように見えてくるから困りモノだ。
 オマケに菊丸が負けそうな雰囲気が見当たらない。
 どれほどの場数を踏んでいるのだろう?
 
 数日前までは全く知らなかった、もう一つの表情。
 最初は裏切られたとしか思えなかった。
 テニスをしているのにタバコを吸ってるなんて、あり得なさ過ぎる。
 オマケに殴り合いのケンカまでしていて。
 部活の皆が全国大会に出ようと頑張っている中で。
 全てを壊しかねないその行為に、憤りすら感じていたはずなのに。
 それなのに。
 ……何故だろう。
 まるで強い相手と試合をしている時のようにゾクゾクするこの感覚は。
 昼の菊丸からも夜の菊丸からも、もう目を離したくないと思ってしまうこの感情は。
 何をしでかすかわからない昼と夜の2つの表情。
 本当にたった数日なのに。
 いつからかなんてわからないけれど自覚してしまった。
 テニスの先輩後輩としてではなく、越前リョーマ個人として。
 
 ――――菊丸英二の横に立ちたい。
 
 思わずあがる口端を自覚しながら。
 頭の位置を戻してゆっくりと再び開いた目に写ったのは、不二に殴りかかろうとする男の姿。
「不二先輩!」
 ハッとしたように反射的に声が出ていた。
 菊丸やバンダナ、ピアスはともかく…不二が殴り合いをする姿なんて想像できない。
 越前の上げた声にハッとしたように不二を振り返ったのは、ピアスとバンダナの二人のみ。
 親友であるはずの菊丸はといえば、チラリと不二の方を一瞥しただけでそのまま目の前の男を殴り倒していた。
 そう、まるで大丈夫とでも言うように。
 しかし何故か敵に回したくないと思わされる人物ではあるが、不二の事を殴り合いのケンカとは無縁としか思えない。
(殴られる……!)
 そう越前が思った瞬間。
 越前は自分の目を疑わざるを得なかった。
 
「………は……?」
 
 何度瞬きをしても、その場に転がっているのは不二に殴りかかっていった男の方。
 先ほど見た光景を何度頭の中で繰り返しても、現実は変わらない。
 そう。
 何をしたのかはっきりとはわからないけれど。
 どれほど、信じがたい光景であろうとも。
 確かに不二は何かをしでかしたのだ。
 認めざるを得ない。
 不二に殴りかかって行った男は、宙を一回転させられて背中から落とされたのだから。
 勢いあまって勝手にこけたのではない。
 落とされたのである。
 男のこぶしが不二に当たると思われた瞬間、確かに微笑を浮かべて開眼した不二は同時に手を動かしていた。
 次の瞬間には男が宙を舞っていたのだ。
 合気道か何かなのだろうか?
 どちらにしろ、どんな芸当をしたのかはわからないが、不二の仕業というのは明らかすぎるほど明らかで。
 
「クス…僕を殴ろうだなんて、100年早いよ」
 
 口元に優雅な笑みを浮かべたまま告げられたその言葉には、微笑を浮かべているからこそ、ある意味恐怖さえ覚えてしまう。
 さすがは不二と言うべきなのだろうか?
 どちらにしろ、あの菊丸にしてこの不二あり。
 不二だからこそ夜の菊丸を知ってもなお、二人は親友でいられるのかもしれない。
 今、自分が置かれている状況もそっちのけで、そんなどうでもいい事が越前の頭をよぎっていた。
 そんな油断が越前にあったのは事実だ。
「……っ!」
 いつの間にやら乱闘騒ぎになっている中、ぐいっと背後から首を肘で絞められながら無理やり立ち上がらされた瞬間、越前はビクッと身体を強張らせて息を飲み込んだ。
 喉元に押し当てられた冷たくて鋭い感触には、嬉しくないが覚えがある。
 失念していたのだ。
 すぐ傍にドレッドがいた事を。
 
「そこまでだぜ、赤毛。このチビを傷つけられたくなかったら…わかってるよな?」
 
 その瞬間、ハッとしたように菊丸と不二の動きがまず止まった。
 続いてピアスとバンダナの動きが。
 その光景と頭の上から降ってくるドレッドの声に、越前は思わず奥歯を噛み締める。
 また…人質になるのだろうか…?
 あの人の、あの人たちの足かせになってしまうのか?
 ……冗談じゃない。
 これ以上そんなのは…イヤだ!
 無意識だった。
 動かないのは縛られている腕と肘で押さえられた上にナイフを押し当てられている首元。
 だから足が動いていた。
 
「越前、止めろ!」
 
 菊丸の声が耳を打つが、すでに遅く。
 喉元に押し当てられているナイフがどう動くかなんて、頭の中にはこれっぽっちも浮かびすらしなかった。
 ただ、足かせから逃れたかっただけなんだ。
 かかとでドレッドの脛を思い切り蹴り飛ばした瞬間、喉元に小さいが鋭い痛みが走ると同時にドレッドの腕が緩んだ。
 その瞬間を見逃さず、素早く動いたのは菊丸と不二の二人。
 ドレッドを殴り飛ばす菊丸を横目に、不二に肩をグイッと引かれるまま後ろへと下がらされる。
 その瞬間、開眼している不二に気づいて僅かに頬の辺りが引きつった。
(……この人ももしかして、菊丸先輩と同類…?)
 何故か場慣れしたその様子に、思わずそんな言葉が頭をよぎったのは…仕方ないのかもしれない。
「よっし。今、縄を切ってやるから」
 後ろから肩を支えられると同時にかけられた声。
 よく知っている声ではない。
 だが、全く知らない声というワケでもない。
 向けた視線に映ったのは、菊丸と一緒にいたピアスをつけまくっている男。
 コクリと頷くだけで了解の意を示す越前の様子に、ピアスはポケットから小ぶりのナイフを取り出すと縄を切り始める。
「……ちっ、お前よ…もがきまくったな?」
「…なんでわかんのさ?」
「縄、食い込んでんじゃねーか。ったく、エージの言った通りのヤツだな」
「………あの人、なんて言ったの?」
「身長の割りに気が強くて負けず嫌いだとよ」
「…にゃろう」
 小声で話しながら少しずつ切れていく縄の感覚に、心の底ではじれったさを感じてしまう。
 早く…もっと早く…!
「…ねぇ、まだ?」
「後ちょっとだ……よし、全部切れた!」
 スルリ…と縄が落ちて手が自由になると、肩にかかっていた力が抜けていく。
 軽く肩を動かして身体の様子を確認する越前。
 喉元に手を当ててみると、ピリッとした痛みが走ると同時に濡れた感触が手に残る。
 やはり切れてしまったらしい。
 眉を寄せて舌を出すが、いったん目を閉じるもすぐにすぅ…と目を開く。
 …大丈夫、少し強張っているけれどしっかりと動く。
 そんな様子を見ていたピアスは、おもむろに越前の腕を掴むと小声で話しかけてきた。
「おい、とりあえずお前はココから早く出ろ」
 ピアスからしてみれば、それが当然の行動なのだろう。
 だがしかし。
 
「何言ってんの? 冗談でしょ」
 
 越前が返したのは、勝気な笑みと否定の言葉。
 そのままピアスの腕を解くと、辺りを見渡して先ほど見つけていた自分のテニスバッグに歩み寄って愛用のラケットとボールを数個取り出す。
 すでに再び乱闘騒ぎになっている中。
 その行動に気づいた男たちの一人が手を伸ばしてきたが、慌てたピアスに殴り倒されるのを横目にボールをポケットの中に入れていく。
「お前、何してんだよ。早く逃げろって」
「…ヤダ。やられっ放しって、性に合わないんだよね」
「……は? お前、何言って…」
 呆気に取られたように呟くピアスの事はこの際無視して。
 スッと構えに入った越前の目線の先には、菊丸とやりあっているドレッドの姿。
 一つ呼吸を整えて――。
 
「菊丸先輩、ちゃんと避けてよね」
 
   ガスッ
 
 乱闘騒ぎの中でもよく通る、まだ幼さの残る声。
 その声にハッとしたように菊丸と不二が振り向いた瞬間、越前の打ったボールが直撃したドレッドは倒れこんでいた。
 横目で倒れたドレッドを確認した菊丸は、再び呆れた視線を越前へと向ける。
「お前な、大人しく逃げる気はねぇのかよ?」
「冗談でしょ? やられっ放しで俺が逃げるワケないじゃん」
「越前…キミ、状況わかってる?」
「わかってますよ。でも、ムカついたし」
 当然のように言う越前の姿に苦笑をこぼす不二と、口元に楽しげな笑みを浮かべる菊丸。
「てめぇら…ぜってぇ許さねぇ!」
 人質だったはずの越前の反撃に呆然としていた男たちは、頭を振って身体を起こしたドレッドの怒声で我に返ると同時に再び襲ってき始める。
 しかし。
 菊丸や不二、ピアスにバンダナとのやりあいの中で外側から襲ってくる越前のサーブに避けきれるはずもなく。
 全てが沈黙するのにそう、時間はかからなかった。
 
 
 
 
 
 

NOT END

 
 
初書き 2006/02/04