1. Index
  2. Novel
  3. テニスの王子様
  4. 菊リョ菊
  5. Gia da solo voi
  6. Act 9

Act 9

 珍しく早めに家を出た越前は、校門付近で眉を潜めて足を止めた。
 目の前には仁王立ちで立ちふさがる少年が一人。
 どこか「怒っています」な雰囲気を醸し出すその姿に、何かを忘れているような気がして越前は視線を彷徨わせる。
 その「何か」を思い出すよりも一瞬早く。
 
「おチビっ! 昨日約束したじゃん!」
 
 ビシッと自分を指差して声を上げる菊丸の言葉に、きょとんと瞬きをした越前はやっとその「何か」を思い出した。
 それと同時にバツが悪そうに、つい…と視線を外す。
 自分が約束を破ったという自覚があるのだろう。
 何も言わず、視線を外したまま思案するかのように越前は目を閉じた。
 そんな後輩の姿にグッとこぶしを握り、スタスタと怒ったままの表情で歩み寄ると同時にペシッと越前の頭を叩く菊丸。
 反射的に頭を押さえて菊丸を見上げた越前は、何か言おうと口を開くが文句を発する事はなかった。
 いや、出来なかった。
 そのままギューッと正面から抱きついてくる20cm大きな身体に、何とも言えずに越前は固まってしまったのだから。
 
『家についたらワンギリでいいから入れて来い』
 
 それが夕べ、越前が1人で帰るために与えられた、たった一つの条件。
 一応、家に着くまでは覚えていたのだ。
 しかし、家に帰った越前を待っていたのは本気で怒っている母親と、心底ホッとした表情を浮かべた従姉妹の姿。
 ちなみに、父親に至っては『よう、青少年。遅かったじゃねーか』とニヤニヤ笑いながら息子に声をかけてきた瞬間に、母親の強烈な鉄拳を食らって伸びていたが、それはまた別の話である。
 兎にも角にも、帰宅した直後に母親からこってりと絞られている間に『連絡をいれる』という事をすっかり忘れ去ってしまったのだ。
 
 菊丸も心配したのだろう。
 すでに1度絡まれているのだから、顔は覚えられているに違いない。
 それなのに来るはずの連絡が入ってこない。
 時間が時間だったから確認の電話を家に入れるわけにはいかないし、越前は携帯など持ってすらいない。
 だからこそ、朝早くから校門前で待ち伏せなんて行動に出たのは想像がつく。
 だが。
 何かがいつもと違う気がして、居心地が悪い。
「……連絡入れなかったのは悪かったっス。でも…」
「『でも』何だよ? おチビ、俺が心配したのわかってんの?」
「それはわかるんスけど、とりあえず離して下さい」
「………いやだ」
「は?」
「それよりおチビ、帰り道でアイツらに逢わなかった?」
「逢いませんでしたけど…それよりも離してくださいって」
「やーだよん」
「……ちょっと、何馬鹿な事言ってんスか」
「だってさー、なーんかいつもよりも抱き心地がいいんだよねー」
 そんな事を言いながら、さらにギューッと抱きついてくる自分よりも大きな身体から逃れようともがく越前だが、どうやってもこの身長差だ。
 そう簡単に逃れられるはずもない。
 ハタから見ればじゃれているようにしか見えないそのやり取りは止まらないかと思われたが、思わぬトコから手が差し伸べられた。
 いや、ツッコミが入った。
 
   ポコンッ
 
 軽い音が鳴ったのは、菊丸の頭から。
 もがいていた越前が視線を上げた先には、丸めたノートを手にいつのまにか菊丸の背後に立っている、いつもの微笑を湛えた不二の姿。
 おそらく、わざわざカバンからノートを取り出して菊丸の頭を軽く叩いたのだろう。
「英二、越前くん。おはよう」
「おっはよーって不二ぃ、何で頭叩くのさ?」
「……はよっス」
 越前に抱きついたまま口を尖らせる菊丸の言葉に笑みを深くした不二は、再びノートで菊丸の頭をポコポコと数回叩いてみせる。
 さすがに越前から手を離した菊丸は、笑いながら頭を押さえるマネをし始めた。
 多分、常日頃からこんなやり取りは日常茶飯事なのだろう。
「だーからー、何で叩くのさー」
「越前くんが困ってるでしょう? さすがに前から抱きつかれたら、逃れにくそうだったしね」
 クスクスと笑いながら叩くのを止めた不二は、そのままノートをカバンにしまいこむと促すように越前と菊丸を見てから部室へと歩き出す。
「えー、不二ってばどこから見てたの?」
「英二が校門で仁王立ちし始めた辺りかな?」
「……それ、最初っからじゃん」
「クス、そうとも言うね」
 二人のやり取りを見ながら数歩遅れて部室に向かう越前は、じゃれている3-6コンビの姿に今更ながら先ほど感じていた居心地悪さの原因に気がついた。
 気がついたら気がついたで、なんだか変な気分がした越前は無意識に頬をかきながら、帽子をカバンから取り出すと目深にしっかり被って歩みを僅かに遅らせる。
 二人から少し距離を取るように。
 
 菊丸の背後からの突撃はいつもの事だが…正面から抱きしめられたのは初めてだったのだ。
 
 
 
 授業も部活も終わり、いつものごとく桃城を足に…もとい、送ってもらおうと思っていた越前だったが、それはあっさりと破棄になった。
 まだ部室で着替えている越前の目の前で、申し訳なさそうに近寄ってきた桃城が両手をパンッと合わせたのだ。
「わりぃ、越前! 今日は家の用事で急いで帰んなきゃならねーんだよ」
「……そうっスか。仕方ないっスね」
「ホントにわりぃ! 気ぃつけて帰れよな」
「うぃーっす。心配しなくても平気っスよ。その代わり、明日ハンバーガーね」
「お前…ホンットちゃっかりしてるよな」
「別にいいじゃん。それよりさっさと行けば?」
 着替える手を止めずにしれっと言い放つ姿に苦笑を零しつつも、頭の上にポンと手を置いて「気をつけて帰れよ」と念押しする辺り、今の3年が卒業した後は案外大石のように心配性になるのかもしれない。
 そんな事をぼんやりと思いながら頷きを返すと、ようやく慌てて部室を出て行く姿に目をやった越前の視線は、そのままある場所でとまった。
 そこにあったのは、楽しげに不二と談笑をしている菊丸の姿。
 時折、他の3年を巻き込んで笑いあっているその無邪気な様子に、なぜか夜に見せる笑みを思い出す。
 軽く頭を振って思考を切り替えると、さっさと着替えを終わらせた越前はカバンを肩にかけて扉へと足を向けた。
 
「お先っス」
 
 いつものように抑揚のない声音で挨拶をして部室を後にしようとした越前は、後ろから引っ張られてバランスを僅かに崩してしまう。
 慌ててバランスを取り直しながら振り返ると、訝しげな表情を浮かべて越前のカバンを掴んでいる菊丸の姿があった。
「おチビ、一人で帰んの?」
「そうっスよ。桃先輩も帰ったしね」
「…………俺」
「それじゃ、お疲れっス」
 何かを言おうとする菊丸の言葉を遮って、そのまま部室を後にする越前。
 扉を閉めた後、開けられないようにドアノブを後ろ手に押さえて一つ息をついた。
 恐らく菊丸は「俺も帰る」とか何とか言おうとしたのだろう。
 夕べ連絡をしなかったのも、理由の一つかもしれない。
 それでも。
 何故か子供扱いされているみたいで悔しかったのだ。
 別に心配して欲しいわけじゃない。
 そんな風に気にして欲しいわけじゃないのだ。
 
 
 
 しかしドアノブから手を離して歩き出した越前は、しばらくすると奥歯を噛み締めて一人で帰った事を後悔するハメになる。
 いつもなら学校を出る時にファンタを買っていたのだが、今日は珍しく買い忘れたまま校門を出てしまった。
 そのまま戻らずに、桃城と一度だけ行った事のあるコンビニを思い出したのはたまたまだった。
 いつもと少し違う道にある、いつもと違うコンビニ前。
 そこでたむろっていた男を見た瞬間、歩んでいた足が止まった。
 引き返すかこのまま通り過ぎるかを逡巡した一瞬。
 越前がどちらかを選ぶその前に。
 足を止めている越前の姿に気づいた男…夕べのワンレンは、口端をあげて獰猛な笑みを浮かべると緩慢な動作で立ち上がった。
 
「よぅ、昨日のチビガキじゃねぇか」
「………その言い方、やめてくんない?」
 
 告げられた言葉に反射的にきつい瞳で言い返しながら、選択肢を誤った事を今更ながらに実感してしまう。
 一人で帰るべきではなかった。
 普段通らない道を選ぶべきではなかった。
 面倒くさがらずに路を戻るか、近所の自販機やコンビニまでファンタを我慢すればよかった。
 いや。
 そもそも、菊丸の言葉を遮らずに一緒に帰ればよかったのだ。
 そんな事を今更言っても、全ては後の祭り。
 無意識に握り締めた手がテニスバッグの担ぐ部分を握っている事に気づいた越前は、それで僅かに平静を取り戻した。
 
 今日の自分には、ラケットとボールがある。
 夕べのように、何も反撃する手段がないわけではない。
 
 そう、自分に言い聞かせた越前だったが。
 ニヤリと笑みを深くしたワンレンに疑問を覚えるよりも一瞬早く。
 いきなり襲ってきた衝撃にその場に膝をつく。
 薄れゆく意識の中。
 背後を見上げた先には、片割れのドレッドが立っていた。
 テニスバッグをしっかりと握り締めたまま。
 頭をよぎったのは、帰り際に見た訝しげな菊丸の表情だった――。
 
 
 
 
 
 

NOT END

 
 
初書き 2005/11/28