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Act 7
辿り着いたのは、普通の一軒家だった。
目をやった表札には、自分の手を引っ張って来た本人の名字である【菊丸】の二文字。
無意識に目をあげて問い掛けると、その視線に気付いたのか菊丸がコチラに視線を向けて来た。
「俺ん家。別に誰もいねぇはずだから遠慮すんな」
そっけなく告げられた言葉に、越前はわずかに眉を潜める。
それはそうだろう。
今はしっかり夜中と呼ばれる時間帯である。
それなのに仮定とはいえ『誰もいない』などと言われたら、誰だって眉を潜めようと言うモノだ。
そんな雰囲気を感じ取ったのだろうか。
ようやく越前の手を離した菊丸は、真っ暗な家の鍵を開けながらもやはりそっけなく言葉を続けた。
「親父もお袋も仕事で遅ぇんだよ。兄貴たちも姉貴たちも、それをいい事に帰り遅いしな」
「……兄貴たちに姉貴たち?」
「俺、5人兄弟の末っ子。兄貴2人に姉貴2人だ。ほら、入れよ」
「……お邪魔します」
返された言葉に納得したのか瞬きをすると、促されるままに敷居を跨ぐ越前。
玄関の鍵をかけてさっさと奥へ入っていく菊丸の背を見ながら、さすがの越前もそのまま入っていいのか躊躇してしまう。
そうこうするうちに、入ってこない越前に業を煮やしたのか、菊丸の声が室内から飛んできた。
「何やってんだよ。散らかってるけど入って来いって」
「………」
かけられた言葉に家にあがって部屋に足を踏み入れた越前の目に写ったのは、入った部屋であるリビングの様子ではなく眉を寄せて頭をかいている菊丸の姿だった。
何かを探すように辺りを見渡す姿に、越前は部屋に入った所で足を止めると様子を見守る。
時間がかかるかと思えたソレは、案外すぐに終わった。
簡単に言えば、菊丸が諦めたのだ。
「あーくそ、アイツのが詳しいか」
面倒くさそうに一人ごちた菊丸は、ポケットからケータイを取り出すといきなりどこかへとかけ始める。
その行動に、無意識に越前は部屋の壁を見渡していた。
目的は、どこにでもあるであろう…壁掛け時計。
ソレはすぐに見つかった。
示されている時間は、午前1時10分。
普通で考えて、電話をかける時間ではない。
そんな事を気にする様子も見せずに、菊丸は立ちっぱなしの越前に気づくと手のひらを上に向けた形で人差し指を軽く数度まげて見せる。
そう、まるで来い来いと手招きをするように。
促されるままに歩み寄る越前に視線を向けていた菊丸だが、電話が繋がったのか僅かに顔を上げた。
「よぉ、遅くに悪いな。あ? 嘘付け。寝てなんかいなかったくせに。ンな事よりさ、救急箱ってドコだっけ?」
やはり夜の口調のまま電話の相手と話始めた菊丸に視線を向けながら、ある程度のところまで近づくと足を止める越前。
手を伸ばせばギリギリ届くかもしれない距離だろうか。
適当に室内を見渡して時間をつぶす越前だったが、不意に大きくなった声に視線を菊丸へと戻していた。
「ちげーよ。俺はケガしてねぇって。別にいいだろ? ホントに俺は大丈夫だっての。違うって。ケガしたのは俺じゃなくてえちぜ……」
やばい、ミスった。
一瞬そんな表情を浮かべたと思うよりも一瞬早く、パッと口を押さえた菊丸がケータイを伺うように押し黙る。
相手の出方を伺っているのだろうか?
自分の名が出た事もあって気になってしまったのか、越前もそんな様子を黙って見つめていた。
沈黙が重かったせいだろうか?
わずかな時間が思ったよりも長く感じた越前が眉をしかめた時、菊丸の表情に変化が現れた。
「あ、あぁ。戸棚な、わかった。あー…わかってる、ちゃんと明日話すって。わかってるって。じゃーな」
電話を切ると同時にがっくりと脱力する菊丸の様子を眺めていた越前は、何となく気になっていた事をそのまま口に出していた。
「今の電話の相手って…もしかして不二先輩?」
その言葉に、僅かに息を呑んで驚いたように大きな目を見開く菊丸を見て、越前はただ(やっぱりね)と心の中で呟いた。
先ほどの言葉に根拠があったわけではない。
だけど、ただの山勘でもなかった。
不二は菊丸の親友で。
夜の菊丸を知っているっぽい言葉を何度か投げられた。
そして。
電話の相手は明日も確実に逢う人物で。
先ほどの表情は、少なくとも対等以上だと思わされるモノ。
おまけに越前自身の事も知っている人物。
そんな人間、テニス部くらいしか思い当たらない。
そして。
その中で夜の菊丸の行動を知っていても物怖じしないのは…。
不二周助。
迷わずに頭に出てきた名前だった。
まぁ、乾辺りなら面白がって黙認するかもしれないが。
「……よくわかったな」
全てを吐き出すようなため息をついた後で、自分の髪をくしゃっとしながら菊丸から発せられたのは、肯定の言葉。
そして。
手の指をポケットの淵にかけた菊丸が越前に向けた表情。
昼間に見せる明るい笑顔でも。
夜に見せた冷たい視線でもない。
少し大人びた笑み。
知らずのうちに息を呑み込んだ越前は、少ししてからハッとしたように視線を外した。
「どーも。それ、褒めてんだよね?」
そっけなく言いながら、呼吸を整えて越前は菊丸に視線を戻す。
何事もなかったかのように。
「やっぱお前、ナマイキ。あぁ、そこ座っときな」
ニッと笑った菊丸が顎で示したのは、3人掛けのソファー。
そのまま別の部屋へ行ってしまった菊丸に反抗するのも面倒くさいのか、肩をすくめてソファーに歩み寄ると言われた通りにドッカリと越前は腰を下ろした。
人気がない事を除けば、普通の家のリビング。
多少散らかっているとはいえ、ちゃんと整頓もされていて。
家族が多いと言うだけあってソファーとかの座れる場所は、少し多め。
何気なく見渡していた越前の視線が、ある一点で止まった。
立ち上がり歩み寄った先には、TVの上に置いてあった写真立て。
そこに写っていたのは家族の集合写真。
菊丸らしき幼い少年が、兄姉たちに可愛がられるように揉みくちゃにされながらも、しっかりVサインをして笑っている。
「……ふーん、やんちゃっぽい」
「あっ! おっまえ、何見てんだよ!」
写真立てを手に取って眺めている越前の耳に、咎めるような声が飛び込んできた。
振り返った視線の先には僅かに焦った表情を浮かべて、手に救急箱を持った菊丸の姿。
歩み寄ってくるその姿は、どこか見慣れている昼間の菊丸のようで――。
「何って写真っス。これ、菊丸先輩っスか? すっげやんちゃっぽいね」
「うるせ。ったく…油断も隙もねぇな」
不敵な笑みを浮かべて手にしていた写真を菊丸に向けた越前は、次の瞬間頭をペシッと叩かれていた。
そのまま写真立てを取り上げると、TVの上に伏せた形で置いてしまう菊丸。
「ほら、ここに座れって」
まだ写真立てに視線を向けていた越前だったが、促された言葉に諦めたのか再びソファーへと腰を下ろす。
テーブルに救急箱を置いた菊丸は、そんな越前の頭に手を置いて前に片膝を付いてしゃがみ込んだ。
身長差のせいか、ほぼ目線が一緒になるのがなんだか悔しい。
僅かにむぅと不満げに眉を寄せる越前の気持ちを死ってか知らずか。
頭の上に置いていた手をぐりっと無理やり横に向け、越前の右頬を自分のほうに向ける菊丸。
「ちょ……ちょっと。せめて一言何か言ってからにしてよね」
「手当てしてもらう分際で偉そうに言うな。うるせーと痛くすっぞ?」
「…………」
面倒くさそうに言われたセリフに、とりあえず口を閉じる越前の様子を見て救急箱を菊丸は開いた。
そのまま消毒が始まると、最初はわずかに眉を動かしたがすぐに痛みなどないとでも言うように表情を保つ2つ下の後輩の負けず嫌いな態度に、菊丸は肩をすくめて治療を続ける。
黙々としたその作業に二人の間には沈黙が落ちていたが、治療するその手が不意に止まった。
それは、ちょうど絆創膏を貼れば終わりとなった時。
いつまでたっても菊丸が絆創膏を貼る気配を見せない事に、越前が顔を不審気に眉を寄せた。
「菊丸先輩?」
「あ…あぁ、わりぃ。ほら、終わったぞ」
「…いっ……どーも」
名を呼ばれてハッとしたように絆創膏を貼った菊丸は、傷口を軽く叩いて救急箱を片付けにかかる。
反射的に表情をしかめて傷口を手で押さえながら、とりあえずといった感じで礼らしきモノを述べる越前。
そのままお互いが示し合わせたかのように口を閉ざしたため、二人の間に沈黙が落ちる。
それに先に破ったのは、越前の方だった。
普段なら全く気にならない沈黙も、菊丸の家という事もあって居心地が悪かったのだろうか?
それとも…。
「……ねぇ」
小さな、それでも静かだった部屋の中でしっかりと通る越前の呼びかけ。
ちょうど片付け終わった救急箱の蓋を閉じた菊丸は、その声に越前の方へと視線を向けた。
「何だよ?」
「今でも俺の質問には、1つも答える気はないわけ?」
真っ直ぐに強気な視線を向ける越前。
別に答えが返ってくるとは思ってなどいなかった。
ただ。
何故だろう。
今なら、聞いてもいいような気がしたのだ。
「…………聞きたいのは理由か?」
「それもある。けど、それだけじゃない」
「…は?」
要領を得ない越前の言葉に、さすがに間の抜けた声を上げた菊丸。
そのまま視線を絡み合わせていたが、不意にため息をつくと自らの髪をくしゃっとかきあげる。
「いいぜ、聞けよ。答えられる事なら、答えてやる」
どういう心境の変化なのだろうか?
それでも、菊丸は確かに自分にしっかりと向き直ってきたのだった。