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Act 6 *
自室のベッドに寝転がりながら、越前は天井を見続ける。
頭に浮かぶのは、菊丸の昼に見せる人懐こい態度と明るい言動。
夜に見せる突き放した態度と冷たい瞳。
そして――。
今日、不二に告げられた言葉。
『英二は英二だよ。どの英二も、間違いなく英二自身だ。深く関わったら抜けられなくなるよ?』
考えていても埒が明かないのはわかっている。
そして、今のままでは意味がどれだけ考えても全然わからないと言う事も。
それでも思考が傾いてしまうのだ。
与えられた紛れもないヒントらしきモノに。
「……菊丸先輩は菊丸先輩…か」
静かな呟きは自分の耳にしか届かなくて。
導かれる答えなど、ドコからも与えられはしない。
いったい、どれくらいの時間が過ぎたのだろう?
ボーっと天井を見続けていた越前だったが、やがて疲れたように小さく息をついた。
「……全然わかんないし」
一人ごちると、ゴロンと寝返りを打った越前だったが、すぐに体勢を起こす事になる。
ノックもなしにドアが開かれたのだ。
「いよう、青少年。なーにしてんだ? 考え事か?」
「……別に」
「何だ何だぁ? しけた面してんなー」
「…親父に関係ないじゃん」
人をくったように話す父親にして、そっけなく返すその子あり。
会話がかみ合っているのかいないのか。
そんな事を気にする由もなく、南次郎はへらへらっとした笑みを浮かべたまま、越前にいきなり何かを放り投げてきた。
「ほらよ、リョーマ」
「ちょ…いきなり何なのさ」
驚きつつもしっかりとキャッチした手に目をやれば、そこには500円硬貨。
息子の呆れたような視線を受けながら、南次郎はあっさりとした様子で言葉をつむぐ。
「タバコ買ってきてくれ」
「……自分で行けば?」
「俺はこれから用事があんだよ」
「………どーせ、しょーもないテレビ見るくせに」
越前のツッコミに目を逸らしてカラ笑いしてごまかす父親の姿に、越前はため息をついてからニッと口の端を上げた。
その表情に、わかっているとばかりに手をヒラヒラとさせた南次郎は、肩をすくめる。
「その釣でファンタでも買っとけ」
「どーせなら千円札でくれればいいのに」
「調子に乗るな」
その言葉に口元の笑みを深くした越前は、硬貨を軽く握りなおしてベッドから立ち上がるのだった。
目的地までたどり着いた越前は、先にコンビニの中に足を踏み入れた。
このコンビニ前の自販機には、ファンタを置いていないのだから仕方がない。
ジュース類を置いている売り場でファンタの物色をする越前の頭をよぎったのは、目の前のファンタの事ではなくただ一つ。
今日はココへたどり着くまでに、菊丸にもその友人らしき少年たちにも逢わなかった事。
だが、考えてみればここ数日より前は見かける事すらなかったのだ。
毎回出逢うという事でもないのだろう。
何故か軽いため息をついて選んだのは、やはり一番よく買うグレープ味。
冷たいソレをレジに運んで清算を済ますと、早速コンビニを出ながら蓋を開けて口をつけた。
喉を潤す心地よさを感じながら釣銭に目をやり、タバコを買った後に出る釣も部活後のファンタ代の足しにしようと決めた越前は、飲み干した缶をゴミ箱に放り投げる。
カランと小気味良い音を立てるゴミ箱に目もくれず、タバコの自販機の前に立った越前は小銭を入れようとした所で動きを止めた。
耳に届いたのは、自分の後ろでわざとらしくクチャクチャとガムを噛む音。
あまりいい気のしないその音に、不機嫌な表情を隠しもせずに越前は背後を振り返った。
そこにいたのはドレッドヘアとワンレンの二人組み。
ガラの悪そうなその二人連れに目をやると、ドレッドヘアが噛んでいたガムをペッと地面に吐き出した。
その姿に何かが引っかかるように頭をよぎるが、それが何かと考える前に越前は口を開く。
「アンタたち、何か用?」
いつものように、その瞳には勝ち気な色を宿して。
挑発的なその言葉と態度に、男たちはまるで獲物を見つけたように獰猛な笑みを浮かべる。
わずかに感じたのはデジャヴ。
それは、相手や相手の笑い方がなんかじゃない。
そんな相手に関するモノじゃなくて…このやり取りだ。
このやり取りは、数日前の少年たちとの出逢いに似ていないだろうか?
その事に気づいた越前は、やっと男たちを見て頭をよぎった『何か』の正体に気づいた。
『ドレッドヘアとワンレンの二人組みには近づくな。テニスを続けたいならな』
それは数日前、菊丸が告げた言葉。
意味はわからない。
だけど、菊丸が言っていた二人組みとは目の前にいる二人なのではないだろうか?
それが頭によぎった瞬間、わずかに表情を硬くする越前。
警戒の色を濃くした、それでいて挑んで来る強いその眼差しに、男たちは越前との距離をわずかに縮める。
性格上なのだろう。
逃げると言うコトを選ばなかった越前の逃げ道を塞ぐように、ドレッドヘアは自販機に手を突いた。
越前が逃げられないように、越前の顔の両横を挟むように。
男の口許に薄く浮かんでいた獰猛な笑みが深くなった。
何かを言おうと男が口を開きかけたその直前。
「そのチビに何か用かよ?」
男たちの後ろからかけられた声。
聞き覚えのある少し高くて不機嫌そうなその声は――。
視線を向けた先にいたのは、今までに何度かココで出逢った夜の菊丸と、その友人一人の姿。
何故か(今日は一人いないんだ)などと関係ない事が頭をよぎる。
そんな越前を他所に、不機嫌なのを隠しもせずに男たちを睨み付ける菊丸のそんな表情は、今まで一度だって目にした事などなかった。
それは、菊丸の横にいるバンダナを巻いた少年も同じ事で。
「誰かと思えば、赤毛とバンダナかよ」
「うっせぇよ。つーか、邪魔。そこどけよ」
「あぁ!? 関係ねーだろーが!」
菊丸の冷たい視線とともに発せられた明らかな挑発に、カッとなったように怒気が増した男たちが越前から目を離す。
自販機につかれていた手も除けられていて。
今の隙に逃げる事は可能だ。
そんな簡単な選択肢が目の前にあるのに。
それでも動こうとしない越前に視線を向けたのは、バンダナの少年だった。
「つーか、そこのガキも邪魔じゃん? お前、どっか行けよ」
その言葉に、無意識に越前の視線が向いたのは、逃げ道を示してくれたバンダナの少年ではなく菊丸の方。
男たちと対立しているからなのか、それともわざとか?
視線を決してコチラには向けてこない菊丸なのに、何故か『早く行け』と言われているように感じて。
その真意が図りきれない。
そんな僅かな躊躇を男たちは見逃さなかった。
「痛っ!」
いきなりグイッと髪を引っ張られたと思うと同時に、身体のバランスが僅かに崩れる。
前かがみになった越前が顔を上げると同時に耳に入ったのは、おそらくドレッドヘアの男の声。
「このガキ、お前らの知り合いか?」
男の表情はわからない。
だけど。
顔を上げた越前の目に入ったのは、何かが爆発する直前のようにわずかに息を呑み、表情をなくした菊丸の顔。
そのままかすかに俯いたせいで表情は見えなくなってしまったが。
その場を動こうとしない菊丸の周りを取り巻く雰囲気が、一気に変わった気がした。
「……その手を離せ」
押し殺した声。
それは普段よりもかなりトーンが低くて。
こんなのは自分の知っている菊丸とは全然違う。
この人が他人の目を惹きつけるのは、華麗なテニススタイルと人懐こい笑顔だと思っていたのに。
それは間違ってはいないはずなのに。
髪を掴まれている事も頭から飛んでしまうほど、今の菊丸から目が離せない――。
意識の全てが菊丸へと奪われていた越前を現実に引き戻したのは、再び髪をグイッと引っ張られた痛みだった。
「はっ、こりゃいい! このガキが人質なら、お前は動けねぇってか?」
「――っ!」
越前が痛みに反射的に顔を歪めたその瞬間。
ワンレンの男が菊丸の腹部めがけて蹴りを繰り出していた。
それを避けずに両手で塞いだ菊丸だったが、次の瞬間その動きは止められる事になる。
「避けても塞いでも、次はこのガキに傷がつくだけだぜ?」
その言葉とともに越前の頬に当てられたのは、手のひらに収まるほどの小さなナイフ。
少しでもその手を動かせば、それは越前の頬を傷つけるだろう事は火を見るよりも明らかで。
さすがにバンダナも表情を変えたその瞬間。
「ぐっ…!」
「エージ!」
ワンレンの蹴りがマトモに菊丸の腹に入った。
身体をくの字に曲げて、あげかけた苦痛の声を歯を食いしばって堪えた菊丸の様子に、顔を忌々しげに歪める男たち。
反射的に声を上げたバンダナは、ギッと男たちを見据える。
「声コロスってのは、まだまだ余裕って事かよ。やっぱお前、ムカつくんだよ!」
「ンだと…テメェら!」
「……やめろ」
男たちの言葉に、今にも殴りかかろうとしたバンダナを止めたのは、菊丸が発した小さいけれど意思の強い静止の言葉。
ゆらり…と身体を起こした菊丸は、視線を越前へと向ける。
しかしそれも一瞬の事。
すぐに視線を外した菊丸は何故か一瞬目を見開くと、すぐに男たちに視線を固定した。
そのまま浮かべたのは、相手を馬鹿にしたような皮肉めいた嘲笑。
「ンなチビを人質取らねぇと俺たちには勝てねぇってか?」
「あぁ!? 上等だ! その言葉、後悔させてやるぜ」
菊丸の言葉にしっかり逆上したワンレンまでもがナイフを取り出したその瞬間。
越前を拘束していた力が急に緩んだ。
「……え?」
いきなりな事にバランスを崩しかけてタタラを踏んだ越前の視線に写ったのは、ワンレンを蹴り倒す菊丸の姿。
ワケがわからず立ち尽くした越前は、不意に腕を引かれて後ろに下がった。
ギクッと無意識に身体を強張らせつつも振り返った先には、前に見たピアスをたくさんつけた菊丸のもう一人の友人が越前の腕を掴んでいて。
先ほどのドレッドを探すように彷徨わせた視線は、足元で止まった。
地べたに転がって頭を押さえながら唸っているあたり、もしかしたらピアスが後ろから殴るか蹴るかしたのかもしれない。
「ったく…今日はもう解散だな」
「ちっ、とことん騒ぐつもりだったのによ」
「ま、仕方ねぇか。とっととトンズラしねぇと、ポリ公来るかもしれねぇし」
「だな」
「じゃーな、エージ」
越前が呆然としている間に話はどんどん進み、バンダナとピアスの少年たちがその場を後にすると、やっと菊丸が越前を振り返った。
不機嫌そうに睨みつけてくる視線を真っ向から見返す越前だったが、伸ばされた手に反射的に目を閉じる。
殴られる――。
反射的に浮かんだのは、そんな感情。
だけど、伸ばされたその手はそんな思いを死ってか知らずか越前の腕を掴んでいて。
「ったく…ちょっと来い」
そのままグイッと引っ張り歩かされる状態に、さすがに越前は慌てた声を上げる。
「ちょ、ドコ行く気!?」
「俺ん家」
「行く理由なんかないじゃん」
「……お前、顔ケガしてんの気づいてねぇの?」
「……………は?」
「その顔で戻ったらやべぇだろ?」
菊丸の言葉に、空いてる手で顔に触れてみて初めて気がついた。
先ほどナイフを当てられていた場所。
そこが確かに切れているらしく、ピリッとした痛みを感じると共にぬるっとした血の感触が手を伝う。
「……わかりました。けど、タバコ買うのが先」
「………お前…マジでマイペースすぎっつーかタフっつーか…」
ため息とともに同意した越前だったが、直後に血で濡れた手で自販機を指差す態度に、菊丸は疲れたように呟くのだった。