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  6. Act 4

Act 4

「桃先輩、今日送ってくれません?」
 部活終了後の混雑も、ほぼ終わった部室内。
 残っているのはすでにレギュラーメンバーと数人の1年だけだった。
 その中の誰一人として、すでに越前の言葉に疑問など持たない。
 それほどまでに、日常的な事なのだ。
 この二人が一緒に帰る…というより、越前が桃城を足代わりにするのは。
 かけられた言葉に視線を落とした桃城の目に写ったのは、すでに帰り支度の済んだ生意気ルーキー、越前リョーマの姿。
「おぅ、いいぜ? つーか腹減ってんだよな、俺」
 ニッと笑いながら言外に『食いに行かねーか?』といっている姿に、同じく越前は口の端を上げた。
「いいっスよ? 当然、言い出した桃先輩の奢りっスよね?」
「……お前、やっぱチャッカリしてるよな…」
「そうっスか?」
 別段気にする様子もなく、それどころか『何を今更』とでも言うようにあっさりとした様子で越前は言葉を返す。
 わずかに表情を引きつらせながら苦笑をこぼした桃城は、それでもやはり人のいい笑みを浮かべるのだった。
 
 
 
 結局、当然のように奢らせた越前は、目の前の奢らされた事を気にしない様子で嬉々としてハンバーガーにかぶりつく桃城へと目を向ける。
 食べているせいか機嫌のいい相手の様子に小さく笑みを浮かべると、ファンタを一口飲んでから桃城に話しかけた。
 万が一、相手がむせても大丈夫なようにわずかにテーブルから身を引いて。
 
「そういえばこの前、夜中のコンビニで菊丸先輩と話しましたよ」
 
 相手の反応を見逃すまいと、越前は目線を桃城にしっかりと固定する。
「へー、英二先輩と?」
「そうっス」
「……………夜中のコンビニで…?」
「そう言ってるじゃないっスか」
「…………………」
 最初は頭が回っていなかったのだろうか?
 あっさりと言葉を返してきた桃城が、少ししてから恐る恐る問い返してくる様子を真っ直ぐ見返す。
 越前の肯定の言葉に絶句したように硬直した桃城の手から、ポテトが落ちた。
 それに気づいているのかいないのか。
 無言でじーっと見てくる後輩の姿に負けたように視線を彷徨わせるが、言葉が出てこずそのまま沈黙が降りる。
 しばらくして、先に口を開いたのは越前の方だった。
「桃先輩」
「……お、おぅ?!」
「あれって、ダレっスか?」
 ひっくり返った声で応じた桃城から目を離す事なく問いかける越前の言葉に、今近くにいる誰かを指しているワケではない事は明白で。
 ますます表情を引きつらせる桃城だったが、やがて大きなため息を落とした。
「……はぁ。越前」
「何スか?」
「俺からは言えねぇんだよ」
「………」
 テーブルに肘ついた手で頭を支えると、下から見上げるような格好で疲れたように告げられた言葉に、越前は無言で先を促す。
 こんな事で納得がいく相手ではない事は、桃城自身百も承知だったのだろう。
 そのままの体勢で苦笑をこぼした。
「俺には英二先輩と不二先輩を敵に回すなんて、怖くて出来ねぇって」
「……つまり、攻略するなら本人か不二先輩って事?」
「そうなるな」
「ふーん」
 納得したのかしてないのか。
 考えるように口元に手を当てて桃城から目をはずした越前は、そのままわずかな時間黙りこくった。
 少しして視線を桃城に戻すと、躊躇なく口を開く。
「桃先輩は、夜の菊丸先輩にあった事はあるんスか?」
「………一応、な」
「ふーん、あるんだ」
「…たまたまだって。かなりビックリしたんだからよ」
「へぇ」
「あっ! お、俺から聞いたとか言うなよ?」
 わずかながらも答えてしまった事実に気づいた桃城は、慌てた様子でわずかに腰を浮かして言い募る。
 その姿を見ていた越前が口の端を悪戯っぽく上げたのを目にした瞬間、桃城は嫌な予感に顔を微妙に引きつらせた。
「別に黙っててもいいっスよ。あ、ハンバーガー追加してもいいっスよね?」
 どう考えても『黙っててあげる代わりにハンバーガー追加ね』以外に聞き取れない越前の言葉に、桃城は白旗を揚げるしかなかった。
 
 
 
「……にゃろう」
「残念だったな、青少年。ほれ、タバコ代」
「…………行ってくればいいんだろ」
 悔しげに差し出された小銭を受け取ると、越前は代わりとばかりにテニスラケットを押し付けて寺のコートから外に出た。
 結局、今夜も南次郎とのゲームに負けたせいでタバコを買いに行かなければいけない。
 また…あの菊丸や少年たちに逢うのだろうか?
 今夜も逢うとは限らないのはわかっている。
 それに、別にあの菊丸に逢うのが、どーこーと言うワケではない。
 どちらかと言えば、あの手の少年たちに下手に絡まれる方のが、正直面倒くさい。
 それでも、ここら辺で南次郎の吸うタバコを買おうと思ったら、あそこの自販機しかないのだ。
 コンビニにも売ってはいるが、まず中学生は売ってもらえないのはわかりきっている。
 そんな事を考えながらコンビニの近くまで来たところで、越前の足が止まった。
 
「お前さ、俺の話ちゃんと聞いてたワケ?」
 
 少し高めの聞き慣れた声。
 そして、まだ聞き慣れない面倒くさげな話し方。
 地面に落とした吸っていたタバコを靴で踏みつけた菊丸が、もたれていたガードレールから腰を上げて斜めに立つ。
 昼間とは全く別の表情をしている相手から距離を置いたまま、越前はまっすぐに視線を向けていた。
 
「聞いてましたよ。でも、必要なら仕方ないじゃん」
 
 やはり微妙に丁寧語を使いきれない自分に気づきながらも、越前は挑戦的な笑みを浮かべる。
 大人しく言う事を聞く気がないというのを、態度で示しているのだろうか?
 越前の表情を軽く一瞥した菊丸は、小さくため息をついた。
 そのまま軽く頭をかくと、何かに気づいたように越前の背後に視線を向ける。
 Gパンのポケットに親指だけを突っ込んで斜めに立つ姿に、越前が内心首を傾げるよりわずかに早く。
「よぅ、エージ。こんなトコで何やってんだ?」
 背後からかかった声には、1度聞き覚えがあった。
 肩越しに見上げた眼に映ったのは、やはり以前ここで絡んできた少年たちの姿。
 少年たちは越前の姿を眼にすると、わずかに眉を寄せた。
 以前出逢っていたのを思い出したのだろう。
「あぁ? この前のチビじゃねーか。何だよ、エージ。付きまとわれてんだったら…」
 
「違う。余計なコトすんな」
 
 少年の一人の言葉を遮るように少し強めの語調で釘をさす菊丸に、言われた方はわずかに目を丸くしてから肩をすくめた。
「そうなのか? ま、困った時には言えよ?」
「あぁ、サンキュー」
「んじゃ先行ってるからな」
 ひらひらと菊丸に手を振って自分の横を通り過ぎて行く少年たちを見送るワケではなく、ただ何の気なしに見やる越前。
 角を曲がって少年たちが見えなくなると、越前は再び菊丸に向き直る。
 無言で…そして意志の強い眼差しを向ける小柄な姿に、菊丸は再び軽く目を閉じて息をついた。
 そのままゆっくりと開いて向けられたのは…普段とは違う強い眼差し。
 普段の昼間は、くるくる変わる表情にぴったり似合う、何故か憎めない…そんな感情を持たせる明るくて人懐こい瞳。
 だけど試合中は打って変わって、楽しそうなのに好戦的な…真っ直ぐ相手を見据える強い瞳。
 そんな瞳しか見た事なかった。
 
 ついこの間までは――。
 
 ほんの数日前、夜中に見せられた瞳は近寄りがたい雰囲気を持つ、冷めた瞳。
 世の中の全てを斜めに見ているようにも見えた瞳。
 そして今――。
 目の前の相手が見せる瞳は、そのどれとも違う気がした。
 その瞳からなんとなく感じ取れるのは…苛立ちなのだろうか?
 
「お前さ、わかってんのか?」
「………」
「ここら辺は夜中になるとタチがわりぃんだよ」
「…だから?」
「………………」
 そっけなく返した返事が気に食わなかったのだろう。
 眉間に誰かを思わせるようなしわを寄せた菊丸はいったん黙り込む。
 わずかな時間が沈黙とともに流れ去り――。
 
 また小さく息をついた菊丸が、おもむろに越前に歩み寄った。
「……?」
 相手の意思がわからずに越前が見上げた瞬間。
 
   ダンッ!!
 
「……痛っ!」
 いきなり胸倉を掴みあげられて背に強い衝撃が走った。
 壁に押し当てられたのだ。
「…お前、いい加減にしろよ?」
「…………」
 いつもとは全く違う、低く感情を押し殺した声。
 冷たい瞳に真正面の近い位置から睨み付けられた越前は、反射的に無言で睨み返す。
「俺みたいにここいらのヤツらと昔から知り合いならともかく、お前みたいなチビがウロチョロしてたら絡まれるんだよ」
「…………」
「それで何かやってみろ。一発でテニス部にも影響が出るんだよ」
「……だったら、何でアンタはそんなトコにいるのさ?」
「関係ねぇだろ!」
 そのままどちらも動かず、ただ無言で睨み合いが続く。
 いったいどれくらいの時間が過ぎたのだろう…?
 菊丸は相手を力ずくになっても従わそうとでも言うかのように。
 越前は納得のいく説明をされるまでは言う事を聞かないとでも言うように。
 互いが互いの感情で一歩も譲らずただ睨み合う中。
 先に動いたのは、菊丸の方だった。
 舌打ちをして越前の胸倉から手を離すと、苛立ちを隠そうともせずにそのままきびすを返す。
「……言っといても無駄だろうけど言っといてやる」
 肩越しに振り向いて眼を向けた菊丸は、真っ直ぐ睨み返すように見つめてくる越前の眼を見据えてくる。
 そのままGパンのポケットに親指だけを引っ掛けると、どこか冷たい雰囲気で口を開いた。
 
「ドレッドヘアとワンレンの二人組みには近づくな。テニスを続けたいならな」
「……え…?」
 
 それだけを言い置くと、越前の反応などお構いなしに歩き出す菊丸。
 菊丸の真意が計り知れず、それでも言われた言葉を忘れる事なんて出来ないまま。
 越前は相手の姿が見えなくなるまでそのまま壁に背を預けていた。
「……やっぱまだわかんない…か」
 ポツリと呟いたのは、菊丸が立ち去りきってから大分経ってからだった。
 そのまま顔に浮かんだのは、勝気で不敵な笑み。
 今頃になって壁から背を離した越前は、すでに立ち去っていった先を真っ直ぐに見据えて。
「まだまだだね」
 
 このまま引き下がりなんかしない。
 いつか、しっかり吐かすまで。
 勝負はまだまだ始まったばかり――。
 
 
 
 
 
 

NOT END

 
 
初書き 2005/07/16