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Act 2
「おっチビー! 一緒に帰ろ」
いつもの如くさっさと部室を後にした越前だったが、背後から飛んできた賑やかな声を耳にすると諦めたように足を止めた。
次の瞬間、背中に襲ってきたのはドンッという衝撃。
まぁ、いつものごとく菊丸の突撃がぶちかまされただけだ。
すでに、背後から声が聞こえると同時に踏ん張る心づもりが出来る辺り、ある意味越前の日常が伺い知れる。
「…菊丸先輩、重いっス」
「おチ~ビちゃん、返事はー?」
越前のクレームも何のその。
早く返事をしろとでも言うように、ぐぐっと体重をかけてきた菊丸の行動に内心悪態をつきながらも、越前は何とか潰れないように踏ん張っていた。
いくら身長とテニスの強さは関係ないと証明できても、身長差による重圧に関しては話が別。
小柄な体で支えられる重さには限りがある。
それでも、重さに耐えきれず潰れてしまうのは、負けず嫌いな越前にとっては悔しいの一言に尽きるのかもしれない。
必死で堪えていた越前は、何とか顔を上げると精一杯何でもない振りをする。
「…どいてもらわないと帰れないんスけど?」
「む~…生意気っ!」
軽くついたため息の後に告げた言葉に、不満そうに口を尖らせながらも案外素直に力を緩める菊丸。
ただし、力を緩めはしても解放はしない。
「…………」
「何だよー! 体重かけんのは止めたじゃん」
手を離さない様子に無言で抗議をしてくる後輩に対して何故か胸を張るようにきっぱりと言い切った菊丸は、やはり手を離そうとはしない。
そのまま僅かの時間、無言の攻防を繰り広げていたが、やがて肩を落としたのは越前だった。
わざとらしくため息をついてから肩越しに見上げた目に映ったのは、心底楽しげに猫のように大きな目を輝かせて口の端をあげている2コ上の先輩の姿。
「ワカリマシタ。その代わり、ファンタっスよ?」
棒読みで了承するが、そこはやはり越前。タカる事は忘れない。
そのちゃっかりした態度に、今度は菊丸が眉を寄せる。
「えーっ! おチビ…ちゃっかりしすぎー」
そんな事を言いながらも楽しげに笑う姿は、やはりいつも通りの菊丸でしかなかった。
結局、ファンタどころかハンバーガーまでちゃっかり奢らした越前は、いつもの如く家でもしっかり夕飯を食べ終えると引き上げた自室のベッドに腰を下ろす。
寝転がるその横で、カルピンがボールにじゃれついているのを何となく意識におきながら、越前はボーっと考えを巡らせていた。
髪型くらい、似ている人なんてたくさんいる。
賑やかで騒がしくて…でも、テニスを楽しんでいるのは見てればわかる。
黄金ペアなんて呼ばれていて、負けず嫌い。
バカっぽいくらいに煩いけどムードメーカー。
そんな人がテニスみたいなハードなスポーツをしていて、ただでさえ持久力もない人なのにタバコに手を出すなんて…それこそありえない。
そう、ありえるはずがない。
たとえ桃先輩が言いにくそうに言いよどんでいても。
たとえ不二先輩が他言無用と釘を刺してきても。
そう、たとえどんなに何かを隠しているような雰囲気があったとしても。
あの人がそんな事をするはずがない――。
そこまで考えてから、不意に越前は眉を寄せた。
「……俺、何こだわってんだろ。まだまだだね」
自嘲気味に小さく呟いて息を吐くと、反動をつけて身体を起こしながらカルピンの背を軽く撫でる。
独特の鳴き声をあげる愛猫に苦笑をこぼして、感じた喉の渇きに扉へ向かおうと立ち上がるが、すぐにその動きを止めた。
家の冷蔵庫にファンタがないのを思い出したのだ。
わずかな逡巡を繰り返すが、家にあるであろう牛乳やお茶で満足するはずもなく。
ため息を一つついて越前は財布を手に取ると、今度こそ買出しに行くために扉をくぐるのだった。
「よう、青少年。こんな時間にどこへ行く気だ?」
「………別に」
「別にってこたぁねぇだろ?」
階段を下りたところで南次郎とすれ違おうとするが、しっかりと腕をつかまれてしまった。
飄々としている相手にそっけない返事を返してそのまま行こうとするが、つかまれた腕が振り解けない事実に観念したのか、越前は仕方なく南次郎を見上げる。
生意気と評しても間違いではないその視線に、南次郎の笑みが深くなった。
「……なに?」
「べっつに~?」
茶化すようなわざとらしいイントネーションに、越前の眉がわずかにあがる。
「ふーん。じゃあ、放してよ」
「外に行くんだろ? ついでにエロ本買ってこい」
「ヤダ」
親としてどうかと思うような発言をする父親に対して、すっぱりと拒否をする息子。
わずかな沈黙が流れるが、先に動いたのは越前だった。
「いい加減、母さんにバラすよ?」
「う……」
呆れ混じりで告げた言葉は、思いのほか有効だったらしい。
わずかにつかまれた力が緩んだのを感じると、越前はするりと腕を抜いた。
「どうするの?」
「………ちっ、しゃーねぇな。んじゃタバコでいいさ」
「ファンタ代」
ちゃっかりと自分の分まで請求するわが息子に、南次郎は苦笑をこぼして財布を取り出すしかなかった。
コンビニでファンタを手に入れた越前は、早速飲みながらタバコの自販機の前で足を止めていた。
いい加減、不本意ながらも買い慣れてしまった銘柄。
コインを投入している背後に気配を感じると、肩越しに目線を向ける。
タバコを買うのが目的なのか、それとも別の何かが目的なのか。
そこにはあまりいい印象を抱かせない笑みを浮かべた少年たちが立っていた。
「……………」
関わるのも面倒くさいと感じたのか、さっさと購入した目的のモノをポケットにしまい込むと、その場を立ち去ろうとする越前。
しかし。
「……ねぇ。どいてくれない?」
不機嫌をまったく隠そうともせずに表情に出したまま、越前は目線をあげた。
自販機の前から動けないのだ。
少年たちに周りを囲まれているせいで。
だが、返ってきたのは道をあける行動でも何らかの言葉でもなく、ニヤニヤとした笑いだけ。
少ししてから、面倒くさげにため息をついた越前を見た少年達は表情を変えた。
無言で見上げてきたその視線が、彼らの予想を裏切ったのだろう。
普段なら、どこか怯えや虚勢の混じった眼を見せるはずの相手のはずだった。
しかし目の前にあるのは、全くそんな色を見せない小柄で勝ち気な瞳。
それが気に入らなかったのか、少年達の笑みが消えた。
「チビ…生意気なツラしてんじゃねえよ」
「アンタ達に関係ないじゃん」
威嚇をするように睨みつけてきた相手の神経を、逆なでるかのように間髪入れず挑戦的な言葉を返す。
その行動は、少年達の少ない忍耐の緒を切れさせるには十分だった。
「生意気なツラしてんじゃねえよ!」
カッとなった少年たちが掴みかかろうとした瞬間、その行動は止められる事になる。
たった一つの声によって。
「……お前ら、何してんの?」
声に導かれるように動かした視線の先には、一人の少年の姿があった。
その姿を目にした途端、越前は違和感を感じていた。
元気にはねた赤茶けた髪。
お世辞にも筋肉があるとはいえないが、ある程度は引き締まった身体。
そこまでは何ともなかった。
だけど。
聞き覚えのある高めの声は、明るさなんてなくて。
気だるげに着崩した服と、気だるげな立ち方。
口元にはタバコを咥えたまま。
そして、何よりもその瞳。
人懐こさはなく、どこか近寄りがたい雰囲気を見せる冷めた瞳。
少年は越前の姿を認めるとわずかにその目を見開いた。
しかし、それも一瞬の事。
すぐに表情を消したその表情なんか、今までに見た事がなかった。
「…………菊丸…せん…ぱい?」
信じられない気持ちで呆然と口から出た言葉。
発してから、何をバカな事を…と否定しようとするが、少年の表情にそれは呆気なく砕け散る。
明らかに自分を知っている瞳。
それなのに、自分が見た事のない瞳。
不意に、自分を見ていた少年が口の端を引き上げた。
明るさが微塵も感じられない、冷たいその微笑。
「越前。お前、こんなトコで何してんのさ」
声をかけられても、違和感は消えなかった。
呼び方が。
表情が。
雰囲気が。
話し方が。
そして何より。
その自分を見る瞳が。
知っていたはずの菊丸とは全く違っていたから。
だけど……。
どんなに違和感があっても。
どんなに違うと感じても。
その人は、菊丸英二でしかありえなかった。
「………アンタこそ、何やってんスか」
「お前には関係ないじゃん?」
なぜか悔しくて。
握り締めたこぶしに爪が食い込むのを感じながら。
真っ直ぐに見据えて問いかけた言葉。
返ってきたのは、突き放した言葉と冷たい視線だった。
それが気に食わないのか、表情をわずかに硬くした越前は、まるで睨み付けるかのように目線を外さない。
そして、そんな越前の様子を意に介さないかのように、菊丸は目を閉じた。
そんな二人を傍観していた少年たちだったが、毒気を抜かれたのか肩をすくめて菊丸に向き直る。
「ンだよ。このチビ、エージの知り合いか?」
「ん? まぁね」
かけられた言葉に、閉じていた目を開いて視線だけを向けられた少年たちは、菊丸のそっけない返事を気にするそぶりは全く見せず、もう越前に興味をなくしたかのようにきびすを返し始めた。
その場から離れきる前に、菊丸に一声だけかけるのは忘れずに。
「俺たち、先に行ってるからよ」
軽く片手を挙げて了解の意を示した菊丸は、横目で少年たちが去っていくのを確認すると越前に向き直る。
不愉快そうにはねた髪をくしゃっと押さえつけると、ため息を一つ。
その見慣れない仕草に、眉をピクリと動かした越前は目をそらす事なく、だからと言って何かを言おうともしない。
重苦しい沈黙が落ちる中、先に動きを見せたのは菊丸だった。
「こんな時間にタバコなんか買うなよな。ったく……まさか、こんなトコで逢うなんてさ」
「……それを言うなら、こんな時間にこんな場所でタバコ吸ってるアンタは何なの?」
感情がついていかないからだろうか?
普段なら、青学の先輩に対しては意識しなくても使えるようになってきていた一応の敬語らしきモノ。
だけど、今の菊丸の前ではなぜか使えなくなっていた。
「俺の勝手だろ? ま、お前なら言いふらしたりはしないだろうけど、一応言っとくか」
吸っていたタバコを道路に落とすと、視線も向けずに靴の底で踏み消す様が堂に入っていて…。
そのまま、すっと見据えてくる見覚えのない瞳から、目を逸らす事ができない。
「一部のヤツらを除いて、このコトを誰にも話すな。でないと、テニス部は出場停止か廃部だよ」
「………っ」
告げられた言葉に、握っていたこぶしに力がこもる。
確かに菊丸の言うとおりだろう。
タバコを吸っていたなんて、立派な不祥事だ。
学校側の体面を考えれば、そうなる可能性は低くない。いや、間違いなく高い。
そして、それをわかっていながらも、菊丸はこの行動をしているのだ。
息を呑んだ越前の様子を見て、状況を理解したと判断したのだろう。
菊丸は、越前を一瞥してからそれ以上何も言わず、先ほどの少年たちが向かった方へと歩き出した。
その場に残ったのは、やり場のない感情をどうするコトも出来ずにこぶしを握り締める、小柄な少年だけだった。