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Act 1
「……え?」
夜遅く。
何度目かわからない親父との負けテニスの結果。タバコを買いに走らされている時に感じたのは、小さな違和感。
なぜか気になって止めた足。向けた視線の先に写った光景は、一瞬理解が出来なかった。
時間にしてはホントに一瞬のすれ違い。
夜も遅かったし人ごみも多かった。
だから見間違いだと決め付けた。
そう、見間違いでしかありえないはずなんだ――――。
夜遅く。
何度目かわからない親父との負けテニスの結果。タバコを買いに走らされている時に感じたのは、小さな違和感。
なぜか気になって止めた足。向けた視線の先に写った光景は、一瞬理解が出来なかった。
時間にしてはホントに一瞬のすれ違い。
夜も遅かったし人ごみも多かった。
だから見間違いだと決め付けた。
そう、見間違いでしかありえないはずなんだ――――。
「菊丸! 校庭50周だ!」
「えーっ! そんなの横暴だー!」
凛と響く低めの声と、明るいが不満を滲ませた声が午後のテニスコートに響きわたる。
ある意味、青春学園男子テニス部の日常となりつつあるこの光景に、周りの部員たちが小さく苦笑をこぼしていた。
反論しても結局は走らされるのに、と顔を見合わせる部員たちだったが、次の瞬間凍りつく事になる。
「う~……手塚のサド!」
「……………菊丸」
菊丸が苦し紛れに放った最後の一言。
そして、沈黙の後で噴火前の地響きのように低く絞り出された手塚の声。
知らずのうちに二人の近くにいた部員たちが離れている事に気づかぬまま。
「……訂正だ、菊丸。今すぐ校庭300周走ってこい!」
「手塚の鬼――――っ!」
晴れ渡る空の下、菊丸の盛大な絶叫が響いていた。
結局、当然というかなんと言うべきなのか。
校庭をえっちらおっちらと走り始めた菊丸の姿に視線を送りながら、越前はなんとも言えないため息を落としていた。
まったくもっていつも通りの光景。
それは、あの夜の光景が夢か幻だったのだと思わざるを得ない事だったから。
呆れと安堵とが混ざったため息。
けれどそれは変わらない日常の象徴でもあった。
それを目ざとく見つけたのは、普段から仲良くしている桃城武。
「越前、どうしたよ? ため息つくなんてお前らしくねーな、お前らしくねーよ」
頭をくしゃくしゃとしながら笑いかけてくる姿を見上げると、再び今度はわざとらしくため息をつくあたりはやはり越前だ。
そのまま返事も返さずにきびすを返そうとする越前の腕を当然のように押さえた桃城は、ニヤニヤとしか言いようのない人の悪い笑みを浮かべる。
「で? 恋の悩みとかか?」
「……何でそうなるんスか。桃先輩には関係ないっス」
「つれねーな、つれねーよ」
呆れた視線を向けながらそっけなく答える越前の言葉に肩をすくめた桃城の背後に、いつの間にか人影が立っていた。
そのままポンと桃城の背をたたいたのは、不二周助。
いつの間に…と驚いた表情を浮かべる二人ににっこりと微笑みかけた不二は、越前の帽子をひょいっと取り上げる。
「二人とも、どうしたの?」
優しい微笑のはずなのに、なぜか拒否を出来ないオーラを放っているあたり、さすがは不二周助と言うべきか。
しかも逃げられないように帽子を確保しているあたりはもう、確信犯なのだろう。
別に隠す内容でもないのだが、何をバカな事をと笑われるのは癪だ。
ただそれだけの理由で桃城の問いをかわそうとした越前だったが、そこに不二までもが加わるとかわしきれるかどうかが微妙になってくる。
おまけに、このパターンだと乾や菊丸までも加わってきそうで……。
絶対ばれたくない秘密でもない限り、このままだと嬉しくない展開…というか汁を飲まされるハメになりそうだ。
そんな一瞬の逡巡の合間に、不二は乾の方に視線を向けると楽しげに笑みを深くした。
不二の視線の先につられたように視線を向けた越前は、不二が乾を呼ぶ直前にあわてて服をつかみ不二の行動を止めるのだった。
途中でファンタを買って二人を人目のつかない場所へ連れて行った越前は、面倒くさそうに一つ息をつくとプシュッと音を立てて缶を開ける。
そのまま視線を彷徨わせていたが、やがて諦めたように先輩たちを見上げた。
「単に見間違えた光景が気になってただけっスよ」
「見間違えた?」
想像していなかった越前の言葉に顔を見合わせた二人は、首をかしげながらも缶に口をつける越前に視線を戻す。
バカにされると思ったのか、どこか嫌そうに眉をしかめる越前だったがすぐに肩をすくめて言葉を続けた。
「菊丸先輩に似た髪形したのが、夜中にタバコ吸ってたってだけっス」
「…………」
「…へぇ」
想像では「なーに言ってんだよ。エージ先輩がンな事するワケねーだろ?」とか「クス…越前。見間違えるくらい英二の事が気になるの?」とか、そんなからかいの言葉が返ってくると思っていた越前は、なんとも言えない表情で顔を見合わせる二人の様子にいぶかしげな視線を向けた。
予想外の反応と、開かれない口。
それは何か隠し事されているようにも感じて、何だか面白くない。
「…何スか?」
「あ~……いや、その…」
歯切れ悪く視線をはずして、バツが悪そうに頬をかく桃城の姿に不満が高まってくる。
普段から冷めたように興味のない態度を取るのが越前だが、こんな反応では問いただしたくなるのも無理はない。
「桃先ぱ――」
「越前」
口に乗せようとした疑問をさえぎったのは、不二の有無を言わせない口調。
反射的に視線を向けた越前の目に飛び込んできたのは、何故か開眼している不二の姿だった。
その圧迫感に無意識に一歩足を引きかけた越前だったが、すぐにハッとしたようにその足を踏みとどまらせる。
「……だから、何スか?」
先ほどと同じセリフを相手を変えて口に乗せる越前。
二人の態度に納得がいかないからだろうか?
どこかピリピリした感覚を覚えながらもまっすぐな視線を不二に向けた越前は、何となく不二の反応を想像していた。
そう、いつものように掴みきれない微笑をたたえるのだろうと。
だが…。
「その見間違いの事、僕たち以外の誰かに言った?」
開眼したままで見据えてくる不二の様子に、思わず言葉に詰まる。
それでも、体勢を立て直すかのようにわずかに顔を下向けて息を吐いた越前は、詰まらなさそうな瞳を不二に向けた。
いつの間にか二人の様子を困ったように見ている桃城を含んで、奇妙な沈黙が一瞬流れる。
「……別に、言う必要ないし」
面倒くさそうに紡がれた言葉に、不二の眉がわずかに動いた。
その表情の変化に越前が疑問を浮かべる前に、クスッと微笑を浮かべた不二が先に口を開く。
「そうだね。そんな事は言わずに忘れた方が…賢明だよ?」
「…………」
誤魔化されているような、それ以上首を突っ込むなと釘を刺されているような、すっきりしない気分を抱えたままでじっと不二を見据える。
そう、相手の真意を計るかのように。
口を挟めない桃城の前でどこか緊迫した雰囲気で見据えあう二人だったが、その空気を先に壊したのは越前の方だった。
「……休憩終わる前に顔洗いたいんで、そろそろ行っていいっスか?」
相手の表情から何かを読みとるのを諦めたように、小さく息をついてから不二に手を差し出す。
先ほど取られた帽子を要求しているのだろう。
無言で見上げてくる越前にいつものように微笑を浮かべながら、不二は手の中の帽子を楽しげに揺らした。
「これ、返してほしいのかい?」
当たり前の事をわかっていて聞いてくるあたり、人が悪いのかからかわれているのか?
たぶん、どっちもだろうと越前は息をつく。
ここで黙っていても帽子は返ってこないコトは明白で。
「そうっスね」
そっけない口調で同意を返しながら目を逸らすコトなく帽子を要求する越前の様子に、不二は深くした笑みを隠すように帽子を口元に運んだ。
笑みを浮かべたまま僅かに目を開くと、そのまま手にしていた帽子を越前の頭にかぶせる。
「仕方がないね。まぁ、今回は素直に返しておくよ」
「……今回は…スか?」
「そう。今回は、だよ」
かぶせられた帽子の隙間から見上げた視線に映ったのは、優しいんだか人が悪いんだか把握しきれない笑みを浮かべる不二の姿。
数秒じーっと相手を見やるが、すぐに諦めたように息をつくと帽子のツバを下げてそっけない声を発する。
「ワカリマシタ。どうせ、何を言っても変わらないんでしょ?」
「そうだね」
「じゃあ、そーゆー事にしときます。じゃ、俺行きますんで」
もうどうでもいいと言う事なのだろうか?
越前は感情のこもらないように感じる声で不二に言葉を返しながら、二人の横をすり抜ける。
感情の読めない笑みを浮かべている不二と、困ったように二人を交互に見る桃城をその場に残して。
二人の視界から逃れるように角を曲がった越前の口から発せられた言葉は、本人の耳以外には届かなかった。
「……まだまだだね」
誰に向けられた言葉なのだろうか?
越前自身か、それとも――?
それは本人すらもわからない無意識の呟き。
初書き 2005/05/04