Patience
キミがいないとイヤなんだ
キミがいないと寂しいよ
キミの笑顔に逢いたくて
キミの声を耳にしたい
ねぇ…キミは?
キミも同じように
思っていてくれますか…?
キミがいないと寂しいよ
キミの笑顔に逢いたくて
キミの声を耳にしたい
ねぇ…キミは?
キミも同じように
思っていてくれますか…?
「あーっ、もう! やめたやめたやめたーっ!」
部室で一人、数枚のプリントを手に叫んだのは、この夏にテニス部を引退したはずの菊丸英二。
菊丸が思わず破り捨てそうになったのは、数学の授業中にしっかりと寝こけた菊丸へ、顧問であり教科担任である竜崎から送られたバツ………もとい、プレゼントだ。
叫んだ反動で突っ伏した菊丸は、すねたように黙りこくってしまう。
「………わかってるのに…なぁ」
少しして、時計の音しかしなかった静かな空間に、菊丸の呟きが響きわたる。
誰もいないとわかっているから零れた一言。
それが数学の問題の答えでないコトは明らかである。
僅かに肩を落として眼を閉じた菊丸の脳裏に浮かんだのは、プリントを渡される際に竜崎から告げられた言葉だ。
『全く…部活を引退してからのお前さんは、一体どうしたんだい? いつも心ココにあらずじゃないか』
そんな事、誰に言われなくてもわかっていた。
自分が一番自覚あるのだから。
ボーッとする時間が増えた。
やる気が起きない。
なんだか全部がつまんない。
気がつけば、視線は外に向いていて。
元々気まぐれだけど、人の話を前以上に聞かなくなった。
理由なんてちゃんとわかってる。
誰かに言われなくても、自分が一番わかってるんだ。
……だって。
逢える時間が減ったから。
一緒にテニスが出来ないから。
たったそれだけの事が、こんなに寂しいなんて…あの子には言えないんだよ。
机の上で組んだ腕に頭をおいたまま、どこを見るわけでもなく壁の方向を見つめるが、菊丸自身としては見ているわけではない。
ただ、眼に映しているだけ。
意識として視線は定まっておらず、映っているモノを認識などしていないのだ。
取り留めのない言葉の羅列をぼんやりと頭に浮かべていた菊丸の意識は、そのままゆっくりと沈んでいくのだった――――。
「あつ……」
コート整理を終え、帽子をうちわのように使いながら部室に戻った越前の眼に映ったのは、着替えている先輩達の中で何故か机にうつぶせ状態で寝ている菊丸の姿。
呆気に取られたようにその場に佇む越前を、笑いをかみ殺しながら歩み寄ってきた桃城が肘で小突く。
そんな桃城に無言の視線を向けた越前だったが、小さく息をつくと菊丸に視線を戻した。
誰もが意識をそちらに向ける中、越前は気にするでもなく机に歩み寄ると、寝ている菊丸に視線を下ろす。
あまりにも気持ち良さそうに熟睡しているその姿に、手に持っていた帽子を再び目深に被りなおすと、越前は踵を返した。
そのまま扉に手をかける越前の耳に、驚いた桃城の声が飛び込む。
「お…おい、越前? お前、どこ行く気だよ?」
「……時間かかりそうだから、ファンタ買って来るっス」
振り返りもせずに部室を後にする越前を、苦笑を零した先輩達が見送っていた。
ガコンッ
自動販売機から出てきた缶を手に取ると、いつものようにその場でプルタブを開ける。
あまり部室でファンタを飲むコトのない越前は、少し考えるように手の中の缶を見つめた後、結局いつもの場所へと足を向けた。
3年が引退する前から変わらない場所。
そこは、越前のお気に入りの木の下。
そこに腰を下ろして缶に口をつけると、木の葉と葉の間から零れて来る夕暮れ直前の木漏れ日に眩しそうに眼を細めた。
すぐに帽子を目深に被りなおしても感じるのは、帽子越しに漏れ見える紅くなりかける前の微妙な陽の光。
そんな普段どおりの状況なのに、頭に浮かぶのは先ほど寝ていた菊丸の姿。
部活を引退してから部室に顔を出さなくなってしまったのは、何も菊丸だけではない。
手塚も大石も乾も河村も不二も……誰も顔を殆ど出さなかった。
たまたま廊下ですれ違った乾に言われた言葉が頭に蘇る。
『竜崎先生から言われていてね。英二が全然勉強しないから、部に顔を出させるなと。俺達が顔を出したら英二も顔を出したくなるだろう?』
その後で付け加えられた『野菜汁ならいつでも持っていく』の一言には慌てて首を横に振ってしまったが、それ以外の言葉には納得できた。
そう、納得できたのだ。
だから、部に顔を出さないのを文句言おうとかは考えなかった。
3年が勉強の為に引退するのも、ちゃんとわかっているから。
だけど……。
あの人の元気一杯のテニススタイルが見れないのは、やっぱりどこか物足りない。
あの明るい声がコートに響かないのは、なんだか少し寂しいのだ。
テニスが出来る。
それは、自分にとっては何よりの楽しみ。
そのはずなのに、ふとした時にコートを見渡す自分に気づいていた。
あの明るく跳ねた、赤茶けた髪を捜す自分の姿に…。
だから、想像していなかった部室で寝ている姿に驚いたのも事実だし、こんなトコで何してるんだと思ったのも事実だ。
「……………まだまだだね」
いつものように呟かれた言葉が…菊丸に対してなのか、自分に対してなのか。
そんな簡単なはずの事が案外わからなくて。
なんだかおもしろくなくて、その感情を飲み干すようにファンタに口をつけていた。
どれくらいの時間が過ぎたのだろう?
冷たかった缶の周りにいつの間にか水滴がつき始めた頃。
帽子越しに感じていた陽の光を、不意に影が遮った。
顔を上げた越前の眼に映ったのは、いつの間にか鍵当番になっていた海堂の姿。
「……どうしたんスか?」
「……フン。菊丸先輩が寝てるからな…。鍵、ちゃんとかけとけ」
そんな言葉とともに差し出された鍵を手に取った越前は、立ち上がりもせずに海堂を見上げる。
その越前の視線に、何かを察したのだろうか?
小さく息を吐き出した海堂は、肩に背負ったままのバッグを担ぎ直す。
「菊丸先輩しかいねぇぞ…」
「……うぃーっす」
肩をすくめて立ち上がった越前は、用件が終わったとばかりに立ち去ろうとする海堂に、軽く頭を下げるのだった。
カチャリ…と小さな音をたてて開いた扉の向こうには、海堂の言葉通り菊丸が一人、寝ているだけ。
その様子を確認した越前は、一つ息をつくと自分のロッカーへ向かう。
着替えている間も何度か横目で菊丸の様子を伺うが、起きる気配を全く見せない。
やがて、着替え終わった越前は眠る菊丸の傍へ歩み寄ると、かすかに眼を細めて赤茶けた髪を一房手に摘んだ。
「……先輩。先輩ってば」
摘んだ髪をツンツンと引っ張るが、やはり菊丸は起きる気配を見せない。
諦めたようにスルリ…と髪から手を離した越前は、ストンッと菊丸の隣に腰をおろして息をつく。
「………ったく、何でこんなトコで寝てんスか」
言葉は呆れ果てているはずなのに、浮かぶ表情は普段と違いどこか優しげで。
だけど、そんなのは本人だって気づいてなどいない。
ただ、誰も見ていないからこその油断なのかもしれないが、越前からそんな表情を引き出せるのは限られているのは確かである。
それでも、久々に逢った相手が寝こけているのは、やはりつまらない。
言っても仕方はないのだろうが。
机に肘をついて自分の顎を支えながら、寝入る菊丸の顔をぼんやりと見つめる。
こーゆーのも悪くはない。
……悪くはないんだけど…………。
「………ふわぁ…」
かみ殺せなかった欠伸をしながら、襲ってきた睡魔にあらがうように軽く頭を振る。
頭を振るのだが……。
あの越前が睡魔に勝てるはずもなく。
「………」
机にもたれかかっていた身体を壁に預け、眠たそうに瞬きを繰り返すのだった。
不意に頭をむくっと持ち上げた菊丸は、ボーっとしたままの瞳で数度視線をさまよわせた。
すっかり暗くなっている部室にギョッとしたように眼を見開いて、慌てた様子で辺りを見回した瞳に映ったのは、自分の隣で壁にもたれて眠る小さな影。
「………おチ…ビ?」
呆然としたように呟いた声に反応したのか、越前の閉じられたままの眼に力が入ってうるさそうに眉が寄る。
それでも、次の瞬間には再び力が抜けて眠り続ける越前の様子に、菊丸は知らずのうちに笑みを浮かべていた。
寝ていると普段の生意気な態度が嘘みたいに隠れ、年相応の幼さが印象に残る。
起こさないようにと声を抑えて肩を震わせていた菊丸は、越前の髪をつまむとツンツンと面白がるように引っ張り始めた。
本当は…もうちょっとこうして眺めていたいけど、やっぱりそういうわけにもいかないから。
「おチビ。そろそろ起きなって。風邪引いちゃうよん」
どこか笑みを含んだ声で静かに声をかけながら、壁に右肘を突き左手で右側に座る越前の髪を引っ張り続ける。
覗き込むような体勢でそんな事を繰り返すが、全く起きる気配のない越前に菊丸は悪戯心をふつふつと湧き上がらせていた。
悪戯っぽく口の端を引き上げた菊丸は、そのままスッと身をかがめた。
「……おチビ、起きる時間だよ」
越前の顔を間近で覗き込みながら囁きかけると、軽く触れるだけのキスを落とす。
眠ったまま、唇の触れた感触に小さくピクッと眉を寄せた越前が再び寝息を立てるのを間近で確認すると、楽しげに肩を震わせてから再び軽く唇を触れさせる。
そんな事を何度か繰り返していると、越前がかすかに顔を背けた。
「………んー…」
そんな越前の動きを、パチクリと瞬きをして見守る菊丸。
そのまま再び寝入ろうとする越前に苦笑をこぼすと、菊丸は顎をつかんで先ほどよりも少し深く口付けた。
一度眼をきつく瞑ってから眼をうっすらと開けた越前の目に映ったのは、真ん前にある菊丸の顔。
いや、唇をふさがれた状況なのだから、真ん前にあるのは当たり前なのだが…。
寝起きでハッキリしない頭でボーっとキスされるままでいたが、夢ではなく現実だと頭が認識したとたん、越前は菊丸を押しのける。
「………ちょっと。寝てる相手に何やってんスか」
問いかけではなく、かといって責め口調でもない。
ただ、半眼で呆れたように告げてくる相手に、菊丸はにっこりと嬉しそうに笑顔を見せた。
「何って、眠り姫に王子様のチューに決まってんじゃん」
「…………………………」
ご機嫌な菊丸の言葉に、心底あきれ果てたように無言で深いため息をつく。
そのまま立ち上がろうと肘に力を入れるが、考えてみれば菊丸に阻まれていて立ち上がれるはずもない。
「俺、立ちたいんスけど…」
「えー、もーちょっといいじゃん」
ご機嫌な口調のままあっさりと拒否してくる菊丸の言葉に、肩を落として息をつくとぐいっと菊丸の身体を押して立ち上がる。
その足でロッカーに向かおうと背を向けた越前を、菊丸は背後からいつものように抱きしめた。
久々のその感覚と菊丸の腕の力に、足を止める越前。
「……重いんスけど」
いつものようにそっけなく告げられた言葉。
だけどその反面、表情はどこか満足げで。
そんな越前の表情は、背後から抱きついている菊丸の眼には映らない。
いつまでたっても腕の力が緩まない事に違和感を覚えたのか、越前が肩越しに振り返ろうとした瞬間、腕の力が強くなると同時に肩に感じたかすかな重み。
そして、首筋に感じるくすぐったさは、ほぼ間違いなく菊丸の髪が当たっている証拠だろう。
「………先輩?」
不思議そうに口を開いた越前の呼びかけに、ただ菊丸は越前の肩に顔をうずめたまま抱きしめ続ける。
離そうとしても離れないだろう事は明白で。
何を言っても無駄かと、仕方なしにされるがままで大人しく佇む越前。
……いや、そっけない態度をとりつつも、越前自身久々に逢ったのだから、離れ難かったのかもしれない。
かすかに顎を下げ、目を閉じた越前の意識は……背後から伝わってくる体温とかすかな鼓動のみを認識していた。
「………?」
いったい、どれくらいの時間が過ぎたのだろう…。
ただ、くっついたまま時間を過ごしていた二人だったが、菊丸がかすかに身じろぎをすると、越前が顔をあげた。
それでも口を開く気配も離れる気配も見せない菊丸に、一つ息をついた越前が言葉をかける。
「……先輩?」
「………逢いたかったんだ…」
越前の呼びかけに揺さぶられたのか…やっとポツリと口を開いた菊丸の言葉に、越前は軽く目を見張る。
言葉とともに、一瞬先ほどよりも強くなった腕の力。
それは、菊丸の抱え込んでいた想いの分なのだろうか…?
「でも…言っちゃいけないって思ってた…」
「……なんで?」
言葉短かに問い返されると、菊丸は少しためらった様子を見せる。
それでも、息をついて口を開いた。
このまま何も言わなければ、自分はきっと……何も変われないから。
「だって……おチビも逢いたがってるかどうか、わかんなかった。逢いたくて寂しくて…でも、おチビに『自分は平気だ』なんて事言われたら、俺…きっと立ち直れないよ」
声だけを聞いてたら、表情ははっきりとわからない。
わからないけど…。
「だから、絶対言いたくなかった。でも…おチビを見て、おチビの声を聞いて…触っちゃったら、もう言わずにはいられない。すごく…すごく逢いたかったんだ…」
背後から告げられた言葉。
それは、形や表現は違っていたとしても、相手への想いという意味では変わらないもの。
言葉を捜すように、かすかに伏せた視線をわずかに彷徨わせると、越前は言葉を告げるよりも菊丸の腕を離そうと小さくあがく。
越前の動きに、名残惜しそうにやっと離れた腕を追うように菊丸を振り返った越前の瞳は、いつもの勝気な光を放っていて。
そのまま引き上げられた口の端。
「自信、ないんだ?」
「…………え?」
まっすぐに見上げてくるのは、小柄だけど尊大な態度をとる……大事な子。
一瞬、何を言われたのかわからずに小さく呟いた菊丸だったが、すぐにムッとしたように眉を上げる。
そんな菊丸が口を開くより一瞬早く。
「俺に、先輩に逢いたいって思わせる自信、ないんでしょ?」
挑発するような…いや、まさに挑発しているのだろう。
まっすぐに、そして大胆不敵に言い放つ越前の言葉に、菊丸は一瞬動じるように肩を震わせるが、すぐにまっすぐに越前を見返す。
自信なんて、あったら最初から寂しいなんて思わない。
自信あったら、最初から悩んだりしない。
自分と同じくらい…いや、それ以上に相手が自分を好きでいてくれるかなんて自信、あるはずがない。
基本的にそーゆー事を言わない子だし、表情にも出さない子だから。
だけど…。
だけどそれでも…。
「……それじゃあ、おチビも俺に逢いたいって思ってくれた?」
言葉を捜すようにいったん目を閉じた菊丸だったが、ゆっくりとその目を開く。
普段の明るさを隠して、どこか切なげに細められた目。
そして、口から飛び出たのは、越前の問いかけに対する返事ではなく、質問に質問を返す言葉。
いや、もしかしたら願いだったのかもしれない…。
基本的に表情豊かな菊丸とは違い、越前はポーカーフェイスか挑発的な表情が多い。
そのせいか、表情を見ているだけでは感情が読みにくいのだ。
特に、こーゆー時は。
絡み合う視線を外す事なくわずかに流れた時間は、菊丸に小さな不安を呼び覚ます。
その時間は、越前の性格を考えれば仕方ないのかもしれない。
やがて、軽く息をついた越前は、言葉を発する事なく菊丸の袖を握り締める。
「…え? おチ……うわ!」
問いたげに口を開こうとした菊丸だったが、握り締められた袖を急にぐいっと引かれると、バランスを崩しながらも上半身をかがめる体勢になってしまう。
次の瞬間、菊丸は驚いたように目を見張った。
かすかに重ねられた唇。
それはすぐに離れてしまったけれど…。
「コレが答えっスよ」
あっさりとした言葉と、わずかに逸らされた視線。
じんわりと状況を理解すると同時に、口元に浮かぶ笑みが抑えられない。
はっきりと口で「寂しかった」と言われたワケじゃない。
だけど、なかなかしてもらえなかった越前からのキス。
それを今してもらえたという事は、言外に「逢いたかった」と言われたのだと、解釈してもいいのだろう。
「おチビ~!」
「うわっ!」
感情を抑えきれず、満面の笑みで抱きついた菊丸の様子に、文句を言おうと口を開きかけた越前の口から言葉は発せられなかった。
その代わり、嬉しそうにギューッと抱きしめてくる、子供のような年上の相手に小さく苦笑をこぼす。
一頻り抱きしめると満足したのか、腕を緩めて顔を覗き込んでくる菊丸。
「ねね、おチビ。もっかいチューして?」
「ヤダ」
「えーっ!」
おねだりするように甘えてくる年上の恋人に、そっけなく言葉を返して横目で様子を見れば、先ほどとは打って変わって不満そうに口を尖らせる様子が菊丸らしい。
余りに菊丸らしすぎて、心のどこかがホッとするのを感じてしまう。
大丈夫。この人はそんな簡単に変わったりしない。
たとえどれだけ成長しても、この人はこの人なんだから。
数時間前までの、切なさなんてどこ吹く風。
秋になる前と大差ないやり取りの中に、少しだけ…何かを乗り越えたような成長を心に秘めて。
二人のいつものやり取りだけが、楽しげに続いていた。
キミの声が聞きたくて
キミの笑顔に逢いたくて
ただ…キミの傍にいたかった
キミに逢えないその時間が
ただ寂しくて寂しくて
心にぽっかり開いた穴は
キミも同じ気持ちだと
感じ取れた瞬間に
弾けるようにあっさり消えた
キミへの想いもキミの想いも
一緒に大事にしていくから
どうか…もう少しこのままで…
END
キミの笑顔に逢いたくて
ただ…キミの傍にいたかった
キミに逢えないその時間が
ただ寂しくて寂しくて
心にぽっかり開いた穴は
キミも同じ気持ちだと
感じ取れた瞬間に
弾けるようにあっさり消えた
キミへの想いもキミの想いも
一緒に大事にしていくから
どうか…もう少しこのままで…
END
初書き 2004/11/01