日向ぼっこ
「おっチビー、迎えに来ったよーん♪」
勢いよく扉を開けて1年2組の教室を覗き込めば、こちらに反応する事なく4時間目の教科書をしまっている姿。
少し面白くなさそうに口を尖らせ、廊下で扉に背を預けて待ってみる。
小柄で不遜で生意気な、青学ルーキー越前リョーマ。
もうすぐ、そのお決まりだったフレーズが変わってしまう。
その頃になったら、自分の居場所も変わるのだ。
自分は高校1年に。
青学ルーキーは中学2年に。
こんな風に一緒にお弁当を食べるのも後少ししかないのに…。
「ちぇー、もう少し嬉しそうな顔見せるとかさ、何か反応あってもいいのになぁ」
「そんなモン、期待しないで下さい」
声に視線を横に下ろせば、呆れたように手ぶらで立っている青学ルーキー。
ちゃんと約束どおり手ぶらなのを何気なく確認して、内心嬉しかったりするがそこはそれ。
「おチビってば、かっわいくなーい」
「可愛くなりたくないっスね」
「俺は、おチビに可愛くなってほしいな」
「自分がなればいいでしょ」
「…俺がなっても仕方ないじゃん」
「それじゃあ、諦めてください」
軽口を叩きながら向かう先は、いつもの中庭。
いつからかなんて、きっとこの生意気な後輩は忘れているだろうケド、自分はきっと忘れない。
生意気な仔猫を少しだけ、手懐けた日だから。
桜の季節は、論外だった。
葉桜の季節になっても、それは変わりなく。
梅雨の季節は何だか機嫌が悪そうで、近づきにくかった。多分、テニスが存分に出来なかったから。
初夏に入る頃、たまたま中庭の木陰でお弁当を食べようとした時に、見つけた。
練習の休憩時間にもよく寝てる黒いにゃんこ。
授業中も寝てるって聞いてたけど…まさか、昼休みにも寝てるとは思わなかったな。
それからは、何故かいつも一緒に食べるようになってたね。
きっと、覚えてないんだろうなぁ。
「んー、いい天気だよね。何か風が気持ちいー」
「……気持ちよすぎて眠いくらいっスよ」
「今日は、俺の腕を振るったんだよ。寝る前に存分に味わってみろ」
「…………ちゃんと食えるんスか?」
「失礼な…俺の料理の腕前は、兄ちゃん'sも姉ちゃん'sも不二も認めてんだかんね!」
「へぇ、初耳っスね」
「むぅ~、減らず口…。いいよ。それじゃあ、焼き魚もダシ巻きもあげないかんね」
「ちょっと…人に弁当持ってくるなって言ったの、菊丸先輩じゃん」
思わずそっぽを向いて意地悪を言うと、さすがに眉を寄せて言い返してくる越前に少し柳眉が下がってしまう。
しかも、お弁当箱を遠ざけようとした腕の制服の袖を掴まれてしまった。
そんなトコを見ると(可愛いトコもあるじゃん)とにんまり笑いたくなると言うもの。
おそらく、菊丸のこーゆートコを不二辺りが見たら「やっぱり英二は単純だね」とにこやかに言われるのだろうが…菊丸がそれに気づくはずもない。
楽しげにお弁当を開く姿を横目に、越前は呆れたような苦笑のような表情を浮かべていた。
「じゃっじゃーん!」
「……………」
「……ちょっとー、何か見た感想はないわけ?」
「先輩、テンション高すぎっス」
「なんだとー」
自信満々に弁当を開いてみでは、それに返ってきたのは何故か沈黙と呆れた視線だった。
じと目で口を尖らせると、スパンと返って来る痛烈な言葉。
でも、それがこの生意気ルーキーだと言うのは、短い付き合いながらも十分にわかっている。
だから、あまりに『らしい』反応に思わず口元が弛んでしまう。
口では怒りながらも、声は楽しげに弾んでいた。
「ご馳走様っス」
「お粗末様。ねぇねぇ、どーだった?」
ちゃんと両手を合わせて挨拶をするあたり、しっかりとしつけられているのを感じさせながら完食した越前に、にっこりと笑いかける菊丸。
その様子を見ながら、少し考えるように越前が口を閉じるのは、いつもの事。
焦らずに答えが返ってくるのを待つ菊丸の耳に届いたのは、期待を裏切らない一言だった。
「うまかったっス」
「でっしょー♪」
「…人間、誰でも1つくらいはとりえがあるんスね」
「あー、生意気!」
付け加えられたのは、ひねくれまくった余計な一言。
ご機嫌になりかけたトコでの不意打ちに、楽しげに越前の髪をくしゃくしゃっと混ぜる。
別にこれくらいで傷ついたりはしない。
だって、これが生意気ルーキーの所以だから。
「ちょっと、何するんスか」
「自業自得じゃん」
「……何言ってんスか。ホント、子供っぽいよね」
イーッとするように歯を出して悪戯っぽい気分で笑いかけてみると、一瞬きょとんとした表情が返ってきた。
あまりに「歳相応」な表情だったため、思わずびっくりしてマジマジと見つめてしまう。
すぐに、いつものように呆れたように見ながら言われた言葉は、いつもの如く生意気だったけど。
「子供っぽくて悪かったねー、だ。おチビの方が小さいくせに」
「背は関係ないでしょ!?」
「だって、こんなに身長違うよん?」
「……俺が中3になったら、追い越してやりますよ」
「へー、楽しみじゃん。言っとくけど、俺もまだ成長期だよ?」
「……………」
最後に告げられた一言に、さすがに悔しげに口をつぐむ様子に思わず苦笑を零し、少し待つように告げてから菊丸は立ち上がった。
無言で見上げてくる越前に必ず待つように言ってから、菊丸が向かったのは近くの自動販売機。
越前の好きな飲み物など、テニス部の人間なら誰でも知っている。
「んー、何味にしようかな。あ、新発売だって…これでいいや」
一人で納得しながら、新発売のファンタ・メロン味を購入して中庭に戻った菊丸の目に映ったのは、すでに眠りこけている越前の姿。
「………ちょっとー、まだ5分くらいしか経ってないのに」
さすがに眉を寄せて一人ごちながら頬を突付くが、相手はあの越前リョーマ。
頬を突付いたくらいで起きるはずもなく。
結果、眠っている越前の傍に腰を下ろすしか取る手段はなかった。
「寝てたら、歳相応なのにねー」
思わずマジマジと寝顔を見てから、視線を空に向けて木にもたれかかる。
目の前には、もうすぐ春を思わせる穏やかな風と青く広がる空。
すでにもう3月だから、あと少しで本当に卒業だ。
隣で寝ている後輩を見ていると、自分が1年の時の事を思い出した事もあった。
負けるもんか、と張り合った時もあった。
1年の時も2年の時も、やっぱり楽しかったのは事実だけど。
3年になって、最高学年として先輩がいないと言うのも楽しかった。
でも…。
何よりも、この生意気ルーキーの存在は大きかったのかもしれない。
何をしでかすか想像もつかない。
生意気で協調性なんてカケラもなくて。
ハラハラもしたけど、それは全部ワクワクに変わっていた。
負けず嫌いなトコはレギュラー陣だって負けてない。
でも、何よりもいざという時に期待にこたえてくれた。
少なくとも後2年間。
一緒にテニスが出来ないのはやっぱり寂しい。
この小さな子のテニスのプレイスタイルを奇跡と言うのなら。
その奇跡をもっと傍でずっと見ていたかった。
そう考えると、やっぱり卒業するのは惜しい気もするけれど…。
この子の先を進めるのは楽しみだから、やっぱりよしとしとこう。
「………いつからだ?」
「ん? あぁ、英二は午後の授業には出て来なかったよ?」
「昼休みから寝ている確立は、99%だな」
「全く…仕方がないな」
「風邪引いてないといいけど…」
「でも、子供みたいっスよね。日向ぼっこしてお昼寝なんて」
「…たるんでる証拠だ」
すでに放課後。
元レギュラーと現レギュラーの7人は、目の前の光景を覗き込みながら好き放題に言い合っていた。
陽だまりの中、気持ち良さそうに寝ているのは菊丸と越前の二人。
静かに手塚から距離をとる後輩たちを気にする事もなく、手塚は大きく息を吸った。
「菊丸、越前! 授業をサボっていつまで寝ているつもりだ! 校庭50周!!」
久しぶりの元部長の怒声に、二人が飛び起きたのは言うまでもない。
END