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一つの約束

それは突然の出来事だった
自分だけが初耳で
絶対納得なんて出来ないのに
何を言われても反対なのに
絶対絶対イヤなのに

それでも

覆せない決定事項なんだと
何故か悟ってる自分がいた







「イル。俺、ここを出るよ」

 おやつを食べ終えて、満腹感で自然と顔が緩む、そんなささやかなひと時。
 そこでテッドが告げたのは、例えれば天国から地獄へ叩き落とされるような一言だった。
 寝耳に水とは、まさにこのような事なのだろう。手にしていた紅茶の入ったカップは、気付かぬうちに斜めに傾き、中身が紅茶皿からも溢れてテーブルへと毀れている事にすら気づけない。
 ポカンと口を開けて、いまだ理解できないテッドの言葉が、ゆっくりと頭の中で繰り返される。
 その様子に慌てたグレミオが台所から布巾を持って来るが、そんな事は今のイルにとってはどうでも良かった。

  ――俺、ココヲ出ルヨ――

 今、何て言ったの…?
 出るって、どこを?
 この家を?
 出るって…
 僕の傍から離れる…?
 やっと出来た…
 たった一人の
 大事なシンユウが……?
 僕の傍から…
 ハナレテ…イク…

「やだっ!!」

 頭が理解をした途端、耐えきれずに叫んでいた。
 硬く目を瞑り、全てを拒絶するかのように身体全体で拒否をして、手をギュッと握りしめた勢いのまま顔を上げる。
 目頭が熱くなっているから、もしかしたら涙ぐんでいるのかもしれない。それでも、真っ直ぐにテッドを見据えた。小さな欠片も見逃さないように、ただ真っ直ぐな眼差しで。
 眼差しを向けた先。そこには、イルの剣幕に対する驚きの表情は全くなかった。ただ、静かな眼差しと切ない微笑。
 全てを悟って、そして諦めを知りながらも、それら全てを受け入れているような。
 深い、瞳。
 そんな表情、今まで見た事がなかった。
 ……本当に?
 いや、どこかで感じていた。
 時々とても遠くに感じる雰囲気を、親友が持っている事を。
 だけど気付かない振りをしていたんだ。
 そう、こんな現実なんて来ないと、来るはずがないと、信じたかったから……!

「何でいきなりそんな事言うんだよっ! 何で出て行くなんて…っ!!」
「落ち着けってイル。何も街を出るわけじゃない」
「それでも家から出るんだろ!?」
「いつまでも居候するわけにもいかないだろう?」
「いいじゃないか! テッドは僕の親友で家族みたいなモノだよ! 何で…出て行くなんて言うんだよ…何で……」
「あ、おいイル!!」
 そこから先は、言葉にならなかった。
 ただ涙が溢れて。
 感情が付いていかなくて。
 俯き、歯を食いしばって落ち着こうとするが、そんな努力が実るはずもなく。
 どうにもならない感情のまま、きつく唇を噛みしめてテッドの方を見る事すら出来ず。
 テッドの呼びかけにさえ答える余裕がなくなって、その場から逃げ出すように自室へと駆け込んで行った。

 本当は、ちゃんと判っていた。
 これが甘えでしかないのだと。
 本気で皆を守ろうと思うのなら、この「家」ではなく、この「街」から離れなければいけない事くらい、自分自身が一番判っていた。
 それでも街に留まるのは、自分の…弱さなのかもしれない。
 家族だと受け入れてくれた、温かい人達。
 素性も知れない自分に、隔てなく優しく接してくれた。

 お人好しで。
 大らかで。
 それでいて強い人達。
 そして何より。
 傷つけたくないと、本気で思った、大事な親友。

「テッド君、すいませんね…」
「何でグレミオさんが謝るんですか。イルが反対するのは、最初から判ってたし」
「ですが……」
「ちゃんと話します。安心して下さい」
「…判りました。では、テッド君にお任せしますね」
 申し訳なさそうに頭を下げるグレミオに慌てて手を振り、気にする事はないのだと告げると、テッドは小さく息をついて眼を閉じた。

 今のイルを説得するのは、想像するよりも難しいかもしれない。
 だけど……。
 本来なら、何も言わずに街を出ようと思っていたのだ。
 それを思いとどまらせたのは、自分勝手なわがままと、何よりも離れがたいとまで思わせた、イルの存在があったから。
 イルという存在が、どれほどまでに影響を及ぼしたのか。
 欠片でもいい。
 ちゃんと話して、その『何か』を伝えたい。
 ゆっくりと眼を開けたテッドは、小さく深呼吸するとイルの部屋へと向かった。
 こんなに緊張するのは、いつ以来だろうなんて、小さな苦笑を滲ませて。

  コンコココンッ

 出来るだけ、いつもと変わらないように軽いノックを心掛ける。
 予想通り返事がない事に思わず苦笑を零して、ノブに手をかけてみる。ひねると難なく回るノブに、知らず笑みが浮かんだ。
 返事がなくても、コレは受け入れてくれている、証拠。
 本気で逢いたくなければ、鍵をかけるのを忘れない相手だから。
「イール、入るぞ」
「……」
「拗ねんなよ」
「……拗ねてない」
「どこが?」
 毛布に頭まで潜り込んで頑なな態度を崩しはしないが、それでも返事は返って来た。ただし、明らかに拗ねている声だったが。
 その姿は、まるでミノムシもどきだ。
 扉に預けていた背を離し、ベッドに歩み寄るテッドの足音に、わずかにミノムシが身じろいだ。
 明らかにこちらを意識している様子に無言で肩を震わせると、ベッドの端に腰かけてミノムシを毛布の上からポンポンと撫でる。顔を出すようすはないが、大人しくしている姿にテッドは目元を緩めていた。

 こんな風に穏やかな気持ちを教えてくれたのは、紛れもない目の前の少年だ。
 自分にだって、あの150年前の戦いで得たものも人もいたのは事実だ。
 仲間だと感じた相手も居た。
 友達だと思った相手も居た。
 信じていいと思わせられた相手が居た。
 態度には出さなかったが、温かい場所だと、感じられた。

 それでも。
 それでも親友だとまで思えたのは、たった一人で……。
「なあイル。一緒に住んでなきゃ親友じゃなくなるのか?」
「…………」
「俺はお前をたった一人の親友だって思ってるんだけどな。お前は違ったのか?」
「……………っ」
 毛布を握りしめる手に力が篭ったのを感じながら、それでもテッドは穏やかな声で語りかけ続ける。
 撫でる手を止める事なく。
「俺、本当はさ…この家じゃなくて、街を出る気だったんだ」
 その言葉を告げた瞬間。
 パッと毛布がめくりあがった。
 そこにあったのは、今にも泣き出しそうに揺れている、黒い瞳。
 何かを言おうとするが言葉にならず、開きかけた口を閉じて、不安げに震える肩を隠しもせずに、それでもテッドを真っ直ぐに見つめてくる。
 その、揺れる瞳が何よりも物語っていた。
 眼は口ほどにものを言うとは、まさにこの事なのだろう。
「でもな、お前が居たから」
 そんなイルの姿に穏やかな笑みを浮かべながら、起き上った拍子に離れてしまった手を今度はイルの頭に置いて、軽い動作で覗き込む。
 どうしても伝えたい、その言葉がちゃんと届いているのか確認するように。
「イルが居たから、まだここに居たいって思っちまった」
「……僕が、居たから…」
「ああ、お前が居たから。俺はな、いつかはグレッグミンスターを出るよ」
「…………」
「でも…そうだな。お前が仕官するのは見届けれたらって思ってる」
「僕が……」
 泣きそうな様子でテッドの言葉を聞いていたイルは、静かに口を開く。
 まるで子供が母親に縋りつくかのような、頼りない口調で。
「僕が陛下に仕官したら、テッドは出て行っちゃうの…?」
「…先はどうなるかなんてわからないだろ? ただ、俺はずっとここには居られない」
「……何で…何でだよっ! 僕が仕官したらテッドが出て行くって言うなら、僕は仕官なんかしたくない!」
「待てって。俺が出て行くのはお前が仕官するからじゃないし、お前が嫌いだからでもない」
「だったら!」
「俺は…探してる人が居るんだ」
「探してる、人?」
「そ。ガキだった俺に路を示してくれた、恩人…みたいな人」
 感情が爆発しかけたイルを留めたのは、テッドの温かな手と静かで真っ直ぐな瞳。そして、真剣な言葉。
 イルが少し落ち着いたのを見て小さく息をついてから、テッドは視線を窓の外へと向けた。遠い過去に思いを馳せるように。
 その姿は、イルと同年代だと言う事を忘れさせてしまうほど、深い何かを感じさせるもので。
「その人が生きているかどうかは判らないし、生きてる可能性のが低いんだけど」
「それは…年老いていたって事? それとも……」
 イルが言い淀んだ先には恐らく「戦争で?」の言葉だろう。テッドは戦災孤児と言う事になっている。だから余計に言葉に出来なかった。だが、辛そうに歪められたその表情が、それを明らかに物語っていて。あまりにも素直なその姿に、テッドは小さく苦笑を零した。
 それを答えの代わりにする。聡いイルは、それだけで何かを感じ取れるだろうから。
 理由を言えるはずはない。
 それはそうだろう、300年前だなんて・・・何の冗談だと怒られるのが普通の反応なのだから。
 それでも……。

「そうだな。いつか…俺がここを旅立つ前には、お前に全部話すよ。それまで、待っててくれるか?」

 この少年には何かを感じるから。
 親友とまで心を許してしまった相手だから。
 判ってもらえはしないかもしれない。
 それでもちゃんと話して、ちゃんと別れをしたい。
 そこまで願ってしまったから。

 にっこりと笑ってイルへとお伺いを立てる。
 そのテッドの姿に、何か言いたげに眉と口を歪めるものの、基本テッドのお願いにイルは勝てないのだ。
 暫く逡巡した後で諦めたようにガックリと肩を落とす。
 そのまま上目遣いで告げるのが明らかに拗ねた口調なのはご愛敬、仕方ないと苦笑を零すのみだ。
「判った、待つよ。待つから…ちゃんと話さないと許さないからね?」
「ありがとな、親友! ちゃんと話すから、この家を出ても文句言うなよ?」
「ちょっ、それとこれとは話が…!」
「な、判ってくれって。頼むよ親友、一生のお願いだよ~」
 ここまでくれば勝ったも同然とばかりにウィンクしながら両手を顔の前でパンッと合わせて、トドメとばかりに軽く首をかしげてみせる。
 ちなみに、イルがテッドのコレに勝てたためしは、一度もない。
 まるっきり言い包められたのを自覚しながら、再びガックリと頭を垂れたイルの姿に、一瞬切なげな笑みを浮かべてから見た目相応ないたずらな笑みを浮かべて、テッドはイルの背をポンと叩いた。
 顔を上げたイルに立ちあがりながら笑いかけたテッドは、手を差し伸べる。それに苦笑を零して手を重ねたイルを勢いのまま立ちあがらせると、テッドは拳をイルに突きつけた。
 その表情は、いつも通りのテッドそのもので。
 つられて笑みを零したイルは、自身の拳をコツンと当て返す。
 これは、二人だけの合図。
 お互いに破顔してテッドがイルの首に腕をかけてグイッと引き寄せる。
「さーって、そろそろグレミオさんが心配してるだろうし」
「少し喉も渇いたしね」
「下に降りますか」
「さんせーい。グレミオにお茶淹れてもらおうよ」
「ついでにクッキーとか残ってないかなー」
「…テッド、まだ食べるの? もうすぐ夕飯だよ?」
「それとこれとは別腹なんだよ」
「太っても知らないよ?」
「いい男は太らないんだよ!」
「いい男って誰のことー?」
「何をー! ここに居るテッド様に決まってるだろ」
 そんな風に騒ぎながら階段を降りる様子に、家人たちがこっそりと安堵の表情を浮かべていたのは、当人たちが知らない話。
 それでも二人は、いつも通りに楽しげな声を弾ませて家の中を明るくする。
 いつまでも続く光景ではないけれど。
 その想い出は誰の中からも色褪せないのだろう。






本当は寂しいよ
離れるなんて嫌なんだ

それでもキミのその言葉に
言い包められたのは
自身の意志もあったから

親友はキミ一人

互いにそれを思っているのなら
少しの距離は許してあげる
だから、忘れたりしたら

許さないからね?






☆END☆


初書き 2008/02/09
加筆修正 2013/12/23